おだわらぐらし -73ページ目

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

では 拝見しましょう、 旧-前田侯爵邸 和館

この建屋は、洋館が完成した翌年(昭和5年/1930)、迎賓館として建てられた~ そうです。/ 戦前の大邸宅で、迎賓館として洋館を建てた~という例はよく聞くのですが、 前田家では(大方の逆で) 家族の生活の場が洋館で お客様は和館にお通ししたようです。


↓洋館と和館の間にある水路。(石橋の南側)


↓石橋の反対側。(北)/ 水はどっちへ流れていたのでしょう?

__館内を見学して知った事ですが、 和館の館の南の東側に滝がありました。(見えませんでしたが 音が聞こえました。) 普通庭の水の流れの始まりは、滝の「滝口(落ち口)」あたりに作りますからー 南の庭を流れた水がこの西の水路へ流れ出て 敷地外へ排水された~ _この写真でいうと水は 石の橋の 南から流れてきて 北へ流れて行ったー と考えてよい か、な?

_因みに 後で読んだ説明板に 「前田侯爵は、外国から客人があったときなどだけに、池に水を流しました。」とあり くすり と笑ってしまいました。 (駒場は目黒区の中でも標高の高い場所なので 庭の池へ「川から水を引く」のは難しかったでしょうから・・・もしかしたら わざわざポンプで地下水を汲み上げていたのかもしれませんね?)

門、がありました。


両側に唐破風を持つ「平唐門」。

格式は高いものの 重すぎない むしろ軽やか な雰囲気ですね?/ しかし意外にも(?)耐震には注意が払われており(震災後の建造という事もありましょう) 2012年の調査で 「門の柱廊部にアンカーボルトが埋め込まれている」事がわかったそうです。

門を潜ると玄関が現れました。


(↑右手の塀の向こうに見える 東西に走る長い屋根は 洋館と和館を繋ぐ通路かと思われます。)

↑説明板
「和館/
外国からの賓客に日本文化を伝えるために、昭和5年(1930)に竣工した木造2階建の近代和風建築で、迎賓のほか、前田家の四季折々の行事にも利用されました。外観は、玄関側の北面は破風屋根が重なる重厚な意匠とし、庭側の南面は京都の銀閣寺を思わせる姿となっています。内部は畳敷きの大廊下や広い続き間のほか茶室も設けられています。設計は、佐々木岩次郎で、茶室は三代目木村清兵衛によるものです。隣接する洋館とは渡廊下でつながっています。戦後は一時期、連合国軍GHQ司令官の住宅などに使用されましたが、内外ともに創建時の状態を良く留めています。」
(写真は 南側から見たお屋敷のようですね?)

入館します。

↓案内図。

館内は 広すぎて外の明かりが届かないのですが ぽんぽん と置かれた雪洞が柔らかな光を落としていて なんだか幻想的でした。

↓左手の説明板。

↑え?「大廊下」?


↑あー、はいはい。畳が敷き詰められている上 広すぎてピンと来ませんでしたが、なるほど 廊下 ですね?

↓説明板「御客間(主室)及び御次之間」


↓御次之間 から 御客間 を見たところ。



欄間の素晴らしい事。(筬(オサ)欄間というそうな。覚えましょう。)

(↑時に 壁紙は洋館でも使われていたものかな?)
↓これが説明板にあった「鳥居型の違い棚」ですね?

↓書院窓の美しい事。(地袋の上は漆塗りですね?)

↓お庭も拝見しましょう。

↑説明板「和館庭
和館の南に面した、曲がれを中心とした池泉庭園で、灯籠や景石の一部は本郷邸などから移されたものと伝わります。和館西側の茶室の向かいには露地(茶庭)が設けられ、また、東側の煎茶室(金沢市に移築)周辺には中国趣味の庭が設けられるなど、多様な景色を楽しむことができます。前田侯爵は、外国から客人があったときなどだけに、池に水を流しました。滝をあえて左奥に設置し、池というよりも流れをたのしむようにしました。」
(写真は二階から見たところのようですね? 滝の姿を知りたいのだけど・・・ 写っているパネル ないかしら・・・。)

↑水音は聞こえるのに 姿の見えない滝・・・。

↓書院窓を縁側から見たところ。

↓縁側から見た庭。


↓縁側の東の端に 火灯窓がありますね?


↓近寄ってみると火灯窓は 角に 二つ(90度の角度で)作られているのがわかりました。/ 何か謂れがあるのかな?



この日見たのはここまで、ですが_
こちら 特別な公開日には 二階 や 茶室(←裏千家の「又隠(ユウイン)」という茶室を写したもの、とか)も見せて頂けるそうです。機会があれば拝見したいものだなあー。(庭も歩けるかな? 滝の様子 見てみたかったなあー。)

(↑御客間 から 御次之間越しに奥を見ています。)

おしまい。