おだわらぐらし -169ページ目

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

では「万年公園」に隣接する 北條稲荷を訪ねるところから_

(↑通りから見ると赤い鳥居が重なって華やかー。)

↓二つ目の鳥居に扁額。

↓戦国時代の小田原の領主(後)北条氏の家紋-三つ鱗(ミツウロコ)、その下に「北條稲荷」。

↓三つ鱗は社の屋根にも。


↓鳥居の左手に手水舎。


↓奥に見えているのは心字池・・・

↑・・・だと思うんですが どうでしょうね?(青いネットは鳥除けか 子供が落ちないように、か_)

鳥居の先では 狛狐達が社を守っていました。

↓右の狐。



↓左の狐。



(子供が泣くレベルの怖さ^^;)

↓石段の途中 そして上にも 又
狐達。(一匹ずつケージに入れられてます(?))


↓社の前まで来ました

↓社の虹梁の上には綱(?)で遊ぶ狐達。(大きな狐と小さな狐_ 親子かしら 兄弟かな?)

↓お賽銭をあげて ご挨拶。

↓それから 拝殿前に置かれていた箱から 由緒書きを一枚頂きました。

↑写します_
「北條稲荷社
〇鎮座地 小田原市浜町四丁目25番32号(旧住所 万年一丁目七番地)
〇祭神 『新編相模国風土記稿』に、「祭神 倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)・大宮姫命(オオミヤヒメノミコト)・大己貴命(オオナムチノミコト)・保食神(ウケモチノカミ)・大田命(オオタノミコト)を祀りて、稲荷五社明神と崇む。北條氏康の勧請なりと云。
 末社  末社 牛頭天王疫(ヤク)神(並(トモ)に天正中(戦国時代末期)の勧請と云)、蛙(カワズ)石明神(北條氏康より寄附の石なり、形似(ケイジ)を以って名(ナヅ)く、後末社に勧請す)」とある。
〇由来 新編相模国風土記稿には、三代氏康が当社を現在地に勧請したと云うが一説に、小田原城総構(ソウガマエ)の東南の出入口(旧山王口)脇にあることから、城の東方にあった山王曲輪の鎮護の社として祀られたのではないかとも云われている
 また、『北條五代記』『北條盛衰記』には当社の起源と思われる逸話が語り継がれている。 元亀元年(1570年)氏康が和歌により城内にいた老狐の悪霊を祓い浄めたことにより老狐が死んでしまった。翌年氏康は逝去したが、父が歿したのは老狐の霊によるものだと子の氏政は考え、城内の狐が死んでいたところに社を建て供養したという。そして後に、やはり城内に祀ってあった蛙石明神とともに現在の鎮座地に移したとも伝わる。(←ん?この説だと創建は四代目の氏政になるような?)
 東海道筋の状況を詳細に把握するため幕府が天保年間に編纂した東海道分間延絵図には、北條時代東海道の一里塚付近に当社と赤い鳥居が描かれている。
 明治末年政府の手で行われた神社合併制作(神社合祀)により、県社である小田原総鎮守松原神社に合祀されたが、明治45年に復祀され現在に至る
 初午祭(立春後の最初の日曜日) 天王山祭典(6月6日)

令和6年3月  北條稲荷神社世話人 」

・「末社  牛頭天王、疫神(並に天正中の勧請と云)~」という事は 牛頭天王と疫神は 別の神様 として祀られているんですね?/ 「疫神を牛頭天王として祀る~」など牛頭天王≒疫神 として扱う神社が多いので ちょっと興味深く思いました。
・由来の段の「氏康が和歌により城内にいた老狐の悪霊を祓い浄めた~」で、
氏康が詠んだ歌は_
 「夏はきつ ねになく蝉のから衣 をのれ
をのれが 身の上にきよ」(←狐を分断しています)
詳しくは こちら⇒の 「北条五代記巻第六 / 四 北条氏康和歌の事」を。



社の右手の 蛙石(カワズイシ)を見ましょう。

↓説明板。

↑「今から400年以前 北條稲荷が当地に建立せられて以来 蛙石は稲荷末社の一(ヒトツ)として蛙石明神 と崇められ 永い由緒をもった小田原の名蹟である。その蛙石という名称は形状の蛙に似たところよりいつしか唱えられるに至ったものであろう。もと小田原城内の庭上にあったものを 北條稲荷勧請の際 ともに城中よりここに移されたと伝えられているが明治35年の大津波にも大正12年の大地震にも少しの異動もなかったので試みにほりだそうとしたところ一𠀋(3m強)の深さに及んでも下部に達しなかったので然らば地下岩盤の露出の先端ではないかという
都路往来(ミヤコヂオウライ)の文中に「蛙鳴くなる小田原の里」とあるのはこの蛙石が小田原に異変があるときには必ず鳴声を発するためだと伝えられ 特に北條時代小田原落城の際は夜な夜な盛んにないたというのは名高い伝説である。」

↓これが 蛙石。(そうと言われると 蛙に見える?)



社の左手(北)に石碑。


↓上に「神徳発揚」の題字。

↑下には「北條稲荷 並 蛙石、記
此の所々を(?)斎ひ(イワイ)寿れる(?もしかして祷れる_マツレル?)北條稲荷社 ハ 元亀元年六月 時の小田原城主 北條氏康 霊夢に感■創建せる所(?)にして~」と創建の由来が刻まれていました。 (←おっと、ここではお稲荷さんは「氏康が霊夢を見て建てた」事になっているみたいですね?)

石碑の先、倉庫の脇に小社。

ここが 由緒書の「〇末社」の欄に記されていた「牛頭天王、疫神」の祀られている社でしょうか?


引き返していて_

ベンチ(兼-収納ボックス?)の上に松ぼっくりが置かれているのに気づきました。


↑あら素敵。(「集める事でアートになる」の例、ですね^^)


続いては
龍宮神社(八代龍神)の方へ~_
(本当は そのまえにお惣菜の「とりうみ」へも寄ったのですが まだ開いてなかった・・・)