おだわらぐらし -168ページ目

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

北條稲荷に続いては 龍宮神社(八代龍神)を訪ねました。(場所は 北條稲荷から 西へ100m程行ったところです。)

(↑グーグルマップには「神社」としか書かれていません・・・)


↑鳥居の手前の玉垣には「古新宿(コシンシク)漁業組合」の文字。
↓地元では浜町の龍宮神社 あるいは古新宿(コシンシク)龍宮神社 本町の「千度小路 竜宮(龍宮)神社」と区別するため 地名が冠されています) と呼ばれていますが、銅製の鳥居の扁額には「八代龍王」と記されています。


(八大(ハチダイ)龍王はよく聞くけれど、八代龍王って珍しいような? と思ったのですが、この八代は「はちだい」ではなく 熊本県の八代(やつしろ)」由来~ なのだそうです。/ この話は「由緒書」のところで改めて_)
↓唐破風の上の飾り瓦(銅製)。

↑大抵寺社の屋根には火伏のため「水」属性の波型が使われますが これは唐草っぽいですね?(葉脈に似た線すら刻まれています)珍しいように思います。
↓唐破風の下の「兎毛通(ウノケドオシ)」は 鳳凰。


↑虹梁の上には波と雲を纏った龍。
↓扁額には「龍宮」と記されています。


お賽銭をあげてご挨拶。

↓青銅の扉の上に 青銅の額・・・。


鳥居について書かれています。
(大正10年の建立時には 石造りだったそうですが、大正12年の震災で破損、修復。昭和26年古新宿大火のため破損。昭和52年 再建(銅製)~ ですって。/ 鳥居の歴史に続いては寄進なさった方の芳名が載っていました_)

社殿東の玉垣際に 由緒書。

↑「八代龍神
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの時、加藤清正の家臣 可児才蔵(カニ サイゾウ)の統率する熊本の八代水軍の船が小田原に上陸中 折からの台風に依る激浪で古新宿の浜辺に大破して打揚げられた。 この水軍は有明海の不知火の光を恐れて八代の龍宮様から御神体を奉受し船神様として船の親柱の元に納められたものを破船の中から引き出し 古新宿の祠に安置して龍宮社として祭ったものが八代龍神の縁起とされている。 尚その水軍で働いていた船頭や船子は近海に魚群の多い小田原の海辺に定着し代々漁業に携わり原住の漁師と共に集落を作った。 八代龍神は昔から海の神様として猟師の信仰が篤く船元の子供は朝晩必ず社内にある大きな輪型の蝋燭立てに明りを上げることを日課として行われ、その光は四六時中煌々として輝き絶えることがなかったと言う。」

↓由緒書の右、通り側には~


↑二匹の海亀が載るオブジェが置かれていました。/ 大正十年の奉納~ と言いますから 最初の鳥居が建てられた時、ですね。寄進者の芳名を刻んだ石が割れているのは大正12年の関東大震災のせいかしら?


さして大きな神社ではありませんが、なかなかにディープな小田原の歴史の 「語り部」 ですね?


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で、この後 亭主が「やっぱり もう一度 (肉の)中川の(直売会の)列に並ぼう!」と言い出して~ 引き返して(後略)
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「北條稲荷」「龍宮神社(八代神社)」、二つの神社について、
詳しくは「おだわら0465(オシロゴー)ネット」の 「小田原かまぼこ通りと北条氏ゆかりの神社コース」をご覧ください⇒

<参考までに_>
↓2009年にこの二つの神社を訪ねた折の記事(旧ブログ)です。