

↑枝折戸(シオリド)つきの棚と柵_。これは昔の写真に見える景色の「再現」だそうです。⇒*
入ってすぐ左手の 主屋前には足場が置かれていました。(10月の長雨で工期が延び 庭に足場や資材が残る事になったそうです。が、公開日には工事作業は行われないとの事。)


↓主屋前は明るい芝の庭。


陽当たりよさそうな南の端に 新しく植え足されたらしい木がありました。


↑金柑です。
↓こっちは 門扉の近くにあったものですが_

↑花柚子。/ 甘柑荘が 一層甘柑荘になっていってる感じ^^)
↓あ、竹垣の側のこの木も 最近植え足されたものかしら?


↑(ボケボケですが) お茶の花ですよね?
↓芝の庭の東に 槇の生垣が作られていました。

↓生垣の向こうは 以前から蜜柑の木が幾本もありましたが 芝の庭と区切られた事で みかん畑 な感じになってました。




時に少し前 ネットでとても興味深いニュースを読んだのです。なんでも_甘柑荘敷地内から 「益田家」と彫られた石が見つかった~ とか。でこれが 「益田鈍翁が所有していた”掃雲台(ソウウンダイ)”との境界石」だそうで。
甘柑荘の管理人さん(←三淵忠彦さんの曾孫さん)に「あの石はどこに?」と伺いましたらー ご案内下さいました。(恐縮です。)

↑家の裏手の斜面地を上がると~
↓それは 見えてくるのですが、

そうと知らねば 気づけない系。

↓これ、です。


↑ここまで 益田家 の土地だったんですねー。
↓今は住宅地になっており、 かつて広大な敷地内に幾つもの茶室があった~という掃雲台を偲ぶ事ができる物は何も残っていませんが・・・


それでもこの(一個の小さな)石のお蔭で 三淵忠彦が住んだ家が 益田家に隣接していた事がわかり、それだけでも十分「感動」できました。(そして改めて_ 東に鈍翁の「掃雲台」、西に山縣有朋の「古希庵」その北に同じく山縣さんが所有した「皆春荘」、その西には大倉男爵の別邸 「共寿邸」、もうイッチョ西には松永耳庵の「老欅荘」~と この三淵邸=現・甘柑荘がいかにスゴイ場所にあったか、に気づかされました。)
_さて、下りて参りましょう。


(↑どうでしょう、結構勾配のキツイ斜面である事 おわかり頂けるでしょうか?)
訪ねるたび 見どころが増えて行く 甘柑荘、です。

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_でこの後 (一つ前の頁に綴ったところの_) 「炉開きのお茶会」に伺った~ のでございました。