おだわらぐらし -105ページ目

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

<おまけ>
順番は前後しますが、東銀座から戸田ビルの美術館「CREATIVE MUSEUM TOKYO」へ行く途中_
京橋あたりで見た絵を貼ります。

木挽町中通りを歩いていたら こんな物がありました。 (セイコー本社ビル南西角)


↓「自動電話交換発祥之地 / 自動電話交換開始記念碑

(↑下の文によるとこのオブジェは「当時の自動電話交換機の回路図の一部を図案化したもの」だそう。 尚、刻まれている「1926」は 自動電話交換開始の年。)

↑「我が国における自動電話交換方式の発祥は大正15年(1926)1月20日、旧京橋電話局の交換業務開始による。自動電話交換開始50年に当たり京橋電話局跡であるこの地に、記念碑を造り 昭和50年(1975)1月20日序幕した。記念碑は当時の自動電話交換機の回路図の一部を図案化したものである、上記「自動電話交換発祥之地」は米澤滋博士の筆によるものである。」
へー。

昭和通りを西へ渡ります。

1ブロック行ったところに 「横断中」を知らせる蛍光色の旗がありました。(横断旗ってまだあったんだね! きょう日見ないなー と思って ぱちり。)


その先に_
「まなびの森保育園 銀座」という木の看板がありました。

↑へー この建屋 まるまる保育園なのかなあ 立派だたなあ と思っていたらー
↓こんどはビルの入口上に「中央区立 水谷橋公園」という表示。

↓え?公園、なの???

激しく混乱してしまいますが、 実は水谷橋公園は ビルの屋上にあったのでした!

↑ネット上の写真を見ると 思いのほかに緑の多い公園みたい。ただビルの上なので 夜は閉鎖される~ との事。

道なりに行きます。


その先 中央通り(国道15号線)の向こうに見えるのは、お馴染みの「銀座一丁目交番」(いつ見ても可愛らしい^^)

_なんですが いつも つい(?)可愛い交番ばかりを見てしまい、手前(通りの東側)にある「京橋の親柱」には気づかずにいました。

区のHPによると 大正11年に建てられたもので。当然当時は4基あったはずですが 現存するのはこの一基、だそうです。

そうか、これが京橋の親柱!/交番の屋根はこの形を模っていたんですね?


どこかロケットのようにも見えるユニークな親柱。(工業的なデザインで 当時の人には未来的に映った事でしょうね?) これからも大切にされていきますように。

さてその横にあるのは?

「経倫」?かと思ったら「経綸(ケイリン)」ですって。(尚 揮毫者は東京都知事 由利公正。 / でその下の石に 経綸 の由来が記されているのかと思ったら_
↓下は「煉瓦銀座之碑」でした。

↑「明治5年2月26碑(皇紀2532年 西暦1872年)銀座は全焼し延焼築地方面に及び 焼失戸数四千戸と称せらるる
東京府知事 由利公正は罹災せる銀座全域の不燃性建築を企劃(画)建策し 政府は國費を以って煉瓦造二階建アーケード式洋風建築を完成す
煉瓦通りと通称せられ銀座通り商店街形成の濫觴となりたり。
 昭和31年4月2日 」

_うーむ「経綸」と「煉瓦銀座之碑」の関係がよくわからないのだけど 多分 銀座を煉瓦の街にし そこから大きく発展させた 知事の由利さんを顕彰する碑~ と思ってよいのでしょうかね?(因みに辞書によりますと経綸の意味は「国家を治めととのえること。その策。」だそうです。)

あら、よく見るとその下に もうイッチョ、銅板に刻まれた文が添えられています。

↑「煉瓦とガス燈(1987年記)
明治初期我が国文明開化のシンボルとして、銀座には煉瓦建築がなされ、街路照明には、ガス燈が用いられた。
床の煉瓦は、最近発掘されたものを、当時のままの「フランス積み」で再現。ガス燈の燈柱は、明治7年の実物を使用、燈具は忠実に復元。」(←フォントもちょっと丸みのあるレトロなものを使ってて 建てた人の「こだわり」が伝わってきますね?)

しかし ああ、オリジナルの明治7年の実物 というガス灯の柱は撮り損ねました。(碑文をきちんと読んだのは 家に帰ってから、でしてー)残念。

↑_という訳で (例によって)ストリートビューから撮らせてもらいました。)

勢いで その先に設置されている もう一つの親柱の写真を貼りましょう。


↑「京橋」と彫られた 明治8年に作られた石の親柱。可愛い交番のそば、にある ひらがなで「きやうはし」と彫られた親柱は見た事ありますが、道の反対側の親柱では 橋名、漢字で記されていたんですねー。
↓横のプレートも読んでみましょう。

↑「京橋は古来よ里 其の名著志る? 創架乃年ハ慶長年間なる可如し 明暦以降 屡々(シバシバ)架換へらせ(?)大正十一年末 現橋に改築せしる 此の橋柱は明治八年石造り架換へられたる時乃擬寶珠欄干の親柱■して橋名の書ハ明治能詩人佐々木支陰乃揮毛■係■ものなり
 昭和十三年五月 」
いやー 昭和13年とは思えない癖のある変体仮名盛り沢山の文で ところどころしかわかりませんが 親橋の橋の名の揮毫者は明治の詩人 佐々木支陰さん、という方なんですね?

気持~ち、京橋に詳しくなれた・・・かな?


でこの後は明治屋さんを左手に見ながら北へ歩き_

「CREATIVE MUSEUM TOKYO」へ行って 企画展「ぜんぶ、北斎のしわざでした。展」を観た、 のでした _ おしまい。