強羅公園の白雲洞茶苑(ちょっとだけ) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

強羅公園では_
白雲洞茶苑(鈍翁や三渓 耳庵 ゆかりの茶室群)のあたりも少し歩いております。/ 今回は時間がなかったので 建屋内はチラとしか見学できておりませんが、 アジサイの季節ならでは の茶苑、眺めるだけでも癒されました。

↓入口。


↑説明板。「鈍翁・三渓・耳庵の遺席
登録有形文化財「白雲洞茶苑」ご案内
ここに保存される三棟の茶席は、大正時代のはじめ 鈍翁・益田孝によって創始され、ついで三渓・原富太郎、耳庵・松永安左ヱ門と近代の三大茶人と称される人々に継承されてきたものです。益田鈍翁による開席当時、ここには不染庵、白雲洞の二席が営まれ、これに寄付(ヨリツキ)と白鹿湯(ハクロクトウ)が付属していました。これらは一代の数寄屋師とうたわれた仰木魯堂の設計といわれています。大正十一年 原三渓に伝えられ、新たに対字斎一棟が増築されました。ついで昭和十五年松永耳庵に受け継がれました。当時のこの茶苑の風趣は、耳庵自筆の「白雲洞の主人となるの記」によって知られます。耳庵没後次第に荒廃していましたところ、当社に移譲され、より全面的に補修の手を加え、昭和五十七年五月に旧観に復しました。
全苑の構成には、山中の岩かげに建つ山家の趣が深く、岩上に根を閉める巨桜の下に、軒を低くたたずむのは不染庵です。また、囲炉裏に自在鉤を掛け粗朶(ソダ)で(作った?)濡縁のある田舎家の席は白雲洞です。茶道界に鈍翁創案の田舎家の茶席はあまりにも著名ですが、現在その多くは失われ、ここ白雲洞は唯一の遺構としてかけがえもなく珍重されています。
益田鈍翁・原三渓・松永耳庵という偉大な茶人であり、明治・大正・昭和の日本経済に大きな役割を果たした稀代の経済人たちが遺した「白雲洞茶苑」は近代数寄の茶道の風雅をしのぶ茶室群です。
     箱根登山鉄道 」

↓門の先に詫びた小さな建屋~


↑しかしこれは「砂雪隠」。/形式的に設けられているお手洗い、です。
↓その先には~

↓「対字斎」。(木々に囲まれていて 案内図を見なければそうとはわかりませんが_)


(↑二階部分に茶室があります。/大文字が正面に見えるので「対字」の名がついているそう。)
右の小径の先には「付属花園」があるそうですー。(行ってません)



引き返します_








縁から中を覗くと 不思議な角度に階段が走っているのが見えます。


↑白雲洞寄付
「鈍翁時代の創建で、四帖半の席に石炉をすえています。上がり框(カマチ)に向って右手外側の桁に曲木を使い、このため席は隅が取れた構成になっています。畳敷の中に直接石炉が切られてそこで畳は縁のないものが用いられます。
 この席を抜けて左に進むと白雲洞、右手に白鹿湯、対字斎があります。
 〇内部ご見学ご希望の説は次の白雲洞■お申し出ください。お茶券 ご一名 七五〇円 」
↓右手室内。

↑すのこの載っている所が上の説明板にある「石炉」ですね?
↓この間の窓。ガラス戸の上に 蔀のような 庇兼雨戸がついていました。(シンプルで機能的で省スペースで 面白い。)



左手奥の茅葺の建屋。ここが「白雲洞」です。


(↑縁が粗朶(ソダ)で作られているところに ご注目_)



↑「白雲洞」と書かれた板が掲げられています。
↓さっき覗いた 寄付 との間になります。(高低差が面白いですね?)



時間のある時に 内部を見学し お茶も頂いてみたいものです。


見る順番は逆ですが_
↓路地門の前、です。





この路地門の前が(二つ前の頁に貼った)両側にアジサイの鉢が並ぶ階段、になります。


↓参考までに、 2009年に見学したおりの話_

(↑お茶も頂きました。)


ブログに貼った写真を見ると なんだか「しっかり見学」したように思われてしまいそうですが 実は「かけあし」で見て回っただけです^^;)
家に帰ったらまだ1時ちょい過ぎ、でした。(道路も 箱根あるある的には少々つまってたのに_)/ 改めて箱根はすぐソコ って感じた事でした。