一夜城祭 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

今日は家族で「一夜城祭」に行って参りました。
一夜城は 秀吉が小田原城を攻めるために僅かな期間で作らせた城。
(本当は80日程かかっているのですが、突貫工事で壁も塗らずに紙を張って さも漆喰を塗った白壁のように見せた上、出来上がってから周囲の木を切らせたので 小田原城からは 「まるで一夜にして出現したように見えた」 ことから 「一夜城」と呼ばれています)
小田原へ引っ越した当初から 「行きたい!」と思っていた場所ですが、歩いて行くには遠いので、このイベントを待っておりました!

JR「早川駅」 箱根登山線「板橋駅」から無料のシャトルバスが出る、というので まずはバスで板橋へ。待つことしばし。

シャトルバスで一夜城のある石垣山へ登ります。
途中の道の両側は色づき始めた蜜柑畑。

山の上に着くと賑やかなお囃子が聴こえてきました。
広場ではイベントをやっているらしい。
でもまずは 史跡の案内をしてくださるというボランティアさんの後をついて 少し城跡を歩くことにしました。

まずは西曲輪(にしくるわ)の下の石垣を見に行きました。
とても保存のよい石垣ですが、荘重さには欠けますね。(ナチュラル過ぎる、とでもいいましょうか・・・) この部分は近江の穴太衆(あのうしゅう)による「野面積み(のづらづみ)」という石の積み方、なのだそうです。一見頑強さに欠けていようで、、、他の部分の石垣は崩れてしまいましたが、この穴太衆が働いた部分は度重なる地震に耐え よく残っているそうです。

この積み方をしている部分としては他に井戸曲輪がありましたが、こちらはほぼ完全に石組みが残っており、感動しました。(石をあまり加工せずに 石の特徴をよく見極め、職人のカンで積むそうです)


ガイドさんによれば この辺りの土は粘土質なので 実は石垣を組まなくても築城は可能だった、そうです。(現に この時の北条側の「小田原城」には 石垣がありませんでした。)一種滑稽な事ですが 一夜城は関東における最初の石垣を持つ城 なのだそうです。/が、建築技術云々はおいておいても・・・ 石垣をもつ堅固な城が突然自分達を見下ろす隣の山の上に出現。しかもその上 秀吉が城に側室や茶人の利休まで連れて行った(秀吉は余裕を見せ付けているのですね)と聞いた北条側の心理は__。  
一夜城築城により 秀吉は戦いの前に すでに心理戦で勝っていた と言われているそうです。

ガイドさんのお話は面白く (秀吉と家康のつれションの話で「多分、その辺り」なんていうので 近くのオジサンが思わずあとずさったり^^) 又 写真や地図を見せて下さりながらの説明で 日本史にうとい私達家族も そもなぜおこった戦役か (秀吉が置いた遠い布石なども教わり) 北条が破れた戦い という一点だけでなく 流れ をつかむ事ができました。


↑展望台からの眺め。小田原城が「眼下」に見えます。
(もっとも、当時の小田原城はもう少し海から離れた山の上、にあったのですけどね^^)

そして お勉強(?)の後は イベント広場で甲冑姿のみなさんの詩吟を聞きながら 焼きソバとフランクフルトを食べ(亭主はビールも飲み)、おなかを満足させてから 帰りのバスに乗り込みましたとさ。



http://www.odawara-kankou.com/page800.htm
↑小田原市観光協会のHP