上野公園の方へ向かいました。


↑今は使われていない京成電鉄の「旧博物館動物園駅」。(御洒落だし 場所いいし、喫茶店にでもすればいいのになあー。安全基準~ とか 難しいのかしら?)
↓ググってたらこんなものをみつけてしまった。(どうしよう?)
(↑東京藝術大学が中核となったプロジェクトの一環から生まれた 遊び心溢れるデジタル3Dモデル_「デジタル ハクドウ駅」)
「旧東京音楽学校奏楽堂」に入ってみます。

この建物は、明治23年(1890)に東京音楽学校(現-芸大)の施設として建築されたものですが、昭和58年(1983)に台東区が芸大から譲り受け、昭和62年(1987)に現在地に移築・復元し 一般公開をしています。


入口。

入館料 300円。

展示されていた1923年に制作されたというブリュートナー・ピアノ。

長く都立上野高校で使われていた物だそうですが、昭和62年にこの奏楽堂に寄贈され 平成23年(2011)には全面修復されて お披露目の演奏会も開かれたそうです。
↓これはオルガンの発声の仕組みを学習するための模型。(ふいごからパイプに風を送って音を鳴らす物~なのでしょうが、この日は二階のホールで鍵盤楽器のデモ演奏が行われていたので 音を出すこの模型は「稼働休止」_でした。)

↓面白く思ったのは これ。奏楽堂の「壁の中」。

↑なんと 藁 が詰められていたそうです。(反響を抑えるためでしょうが 藁の吸音効果ってどれ位なのだろう?)
二階へ上がってみます。

↓「瀧廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲をうたい、三浦環が日本人による初のオペラ公演のデビューを飾った~」という 二階のホール。

この日はチェンバロのデモ演奏が行われていました。(曲名の案内はありませんでしたが 装飾的で抒情的で ロココの頃の曲のようでした。クープランあたりかしら?)

(↑演奏者がいない時 を撮っています。)
後ろの壁の まるで会場の装飾の一部 の様に見えているのは オルガンのパイプ。 オルガンの鍵盤部分は舞台右寄りに置かれています。(階下に送風機が設置されている~そうです。)オルガンについて詳しくはこちら を⇒*
奏楽堂に続いては 東照宮の方へ行ってみます。
国立博物館前からー

噴水に沿って南へ~。


スタバ、混んでるー。


動物園前。/行列はできてないー。

木立の中に騎馬像。



側の説明板によると「小松宮(コマツノミヤ)彰仁親王銅像」だそう。

↑へー元 京都仁和寺の法親王様だった方ですか。(慶応三年(1867)の「王政復古」で 22才で還俗し仁和寺宮となり 鳥羽伏見の戦いでは「征討大将軍として参戦、戊辰(ボシン)戦争にも従軍~ですか。 (明治2年には ご結婚もなさってます。) 明治十年(1877)には 西南戦争の負傷者救護団体として創立された「博愛社」の総長に、 後に博愛社が「日本赤十字」と改称すると 初代名誉総裁になられてます。 明治15年に宮名を「小松宮」に改称、同じ36年 58歳で薨去(国葬)。)
この銅像は明治四十五年に建てられていますが ここに設置された理由は_ 小松宮様が「寛永寺最後の門跡・輪王寺宮公現法親王(後の北白川宮能久親王)の兄宮(同母)であったことに因んだのだろう」と推察される~ ようです。 (へー 門跡になりながら 復飾後軍事についた方なんですね? )
上野東照宮へ行ってみましょう。(寛永4年(1627)創建。小さいながらも豪奢で 三大東照宮に数えられています。)
↓道に面して立つ 鳥居。

側にあった 境内図。

(↑参道右手に五重塔が描かれていますが、五重塔は「動物園敷地内」にあるのですー。/ 動物園の境界線を描き入れてほしいなあー・・・美的ではないけれども。)
↓参道を行くと門がありました。

「水舎門(ミズヤモン)」。

(慶安 4年(1651)に手水舎として作られた物を 昭和39年(1964)に門にした~ そうです。)

(↑門の梁の上、宮号の左右の「〇番組」~というのは 上野を守る「第五区」の火消しの組ですって。)
門の先_ 右手に五重塔が見えます。

(↑説明板は東照宮敷地内に置かれていますが、本体は動物園の中~。現在は「寛永寺の五重塔」になっていますが、元々は「東照宮の五重塔」であった、との事。)
(左手には牡丹園があるのですがー はい、公開期間を過ぎ 閉じられておりました^^;)
↓参道脇には 大名家から奉納された沢山の石灯籠。

その奥に 金色の社殿が見えてきました。

右手に神楽殿。(明治7年に深川木場組合より奉納されたもの。)



↑奥の壁に掛かる額の文字は 美作津山藩八代藩主徳川斉民(ナリタミ)の揮毫で「材木渡来中」だそう。(どこかユーモラスな響き^^)
この辺りに並ぶのは青銅製の灯籠。



左手に手水舎。

水盤は竹のスノコで蓋をされ、竹の樋の隅からの水で 手だけ清める 式でした。

絵馬は「他抜(タヌキ)」や家康の兜の意匠があしらわれたものー。(外国語で描かれたお願いが沢山ありましたよー。)

右手にも手水舎?


↑かと思ったら「大鈴」が下がっていました。明治七年に この東照宮の狛犬を彫った石工 酒井八右衛門が奉納した鈴だそう。
↓そしてこれが 酒井八右衛門が彫った狛犬。


改めて社殿へ。

社殿の重なる破風は 近づき過ぎると唐門の唐破風で見えなくなるー。



(↑お賽銭箱には「奉献」の文字)
拝観料を納めると 中の「金色殿」を見学する事ができるのですが 今回はここまで、に。
続いては「上野大佛(寛永寺)」を見に行きます。

実は私こちらは初めてお訪ねします。

かつてお釈迦様(大仏)の座像があった場所にはエキゾチックなパゴダが建っています。/ これは大仏再建を願う祈願塔で、祀られているのは薬師如来、だそうです。

↓かつての姿。
寛永8年(1631)に「露座」の大仏として造られた「初代」は十数年後に地震で倒壊。その後も 復興・修復を繰り返し~
今あるものは_ 天保14年(1843)に鋳造され大仏殿もお持ちだった仏像の 上野戦争後 明治政府に大仏殿解体され、大正12年の関東大震災で頭部が落ち、昭和14年にお顔以外の部分を軍に供出させられ~ 残った部分。
「再建」に備えて長く寛永寺で保管されていましたが、
昭和42年(1967)、 関東大震災の50回忌 に 上野観光連盟が願主となって「大仏再建を願う祈願塔」が建立されると_
五年後の昭和47年(1972)、 お顔部分をレリーフにして 祈願塔横(現在地)に置いての公開が始まっています。




↑今日では (これ以上「落ちない」
お姿から_) 受験生に「合格大仏」と呼ばれ人気、だそうです。
小山を南に下りようとしたら、目の前に 「時の鐘」が見えました。(寛永寺の鐘になるそうです。)

芭蕉の
「花の雲 鐘は上野か 浅草か」の 上野の鐘は この時の鐘、だそうですね?
(おまけ_ 子規の「大仏を 埋めて白し 花の雲」(←子規が見た上野の大仏は すでに大仏殿を失い 露座の大仏になっていたのですね)の花の雲 は 芭蕉の句からの引用~ と言われているそうです。)

精養軒も一度来てみたいものだけど なかなか機会が_。


↓「韻松亭(インショウテイ)」前に出ました。

ここでお昼を頂く予定ですが_

まだ少し(予約の時間まで)間があるので~
すぐ隣の 「花園神社(稲荷)」「五条天神社」へ行ってみます。(何でもここは_上野屈指のパワースポットですって!)


(↑鳥居には「花園神社」と書かれていますが 横の石柱には「花園稲荷神社 五條天神社 参道」と彫られています。)

手水舎。


(↑花の水盤、可愛らしい^^(葉っぱの感じ的には菊、かな?))

こちらは「五條天神社」。




本殿西に建つのは・・・何でしょう?幣殿、かしら?舞殿?

↓あら、こちらは伊藤博文の揮毫になる額ですね?「神徳惟馨」シントク コレカグワシ と読むそうです。

花園稲荷への道は 思いのほかに遠かった?


ここが稲荷社。




迷路の様な お参り処でした。
(後で この境内に「穴稲荷(忍岡稲荷)」があったと知りました。訪ねそこねてしまいました・・・)
まるで 一つの境内を共有しているかのような二つの神社の それぞれの歴史、現在地への遷座のいきさつなどは Wikiの「五條天神社 (台東区)」をご覧下さい。⇒*
食事~の様子は 別頁に綴る事にしてー
食後は、上野清水(キヨミズ)観音堂に行っております。(寛永寺境外観音堂)名前からもわかる通り、京都の清水寺を模して造られた舞台を持つお堂です。更に「御本尊も清水寺より恵心僧都(エシンソウズ)作の千手観音像を迎え秘仏としてお祀りしております。」のだそうです。/ ここも初めて訪ねます。

外からは何度も眺めてますけどね。



(↑広重の絵に描かれた「観音堂」と「不忍池」更に「上野山内 月のまつ」)
ありゃっ 手水舎の水が止められています?(お掃除中? ま こんな日もあるのでございましょう。)

手水舎脇に絵馬掛け。

お堂へ上がってみましょう。

堂内は撮影禁止ですが、鐘と扁額は撮らせてもらってもよいかな?


↑扁額の文字は「施無畏(セムイ=恐れるな≒観世音菩薩の異名)」
火灯窓を持つ渡廊下。その先は「書院」です。

書院の側に、装飾的な「尾垂木」を持つ灯籠。

賑やかな感じ。

お堂前で写真を撮る人がいた。

上の方が狙っていたのは「上野山内 月のまつ」(←もちろんオリジナルではなく複製) の中に浮かぶ弁天堂だったろう~ と思います。


↓因みにこの時 観音堂の前の「舞台」部分は工事中でした。

早く修復なりますようにー。(お堂の拝観料は別に割引になってませんでしたー)
<おまけ>
ストリートビューでもらった 池側から見た観音堂舞台部分。

この後は彰義隊のお墓へ。


石に刻まれた文字は「戦死之墓」。片岡鉄舟の筆になるもの_と言います。


(↑説明板)
最後に 西郷さん(と彼の愛犬ツン)に会いましょう。


何となく 西郷さん(とツン)に会わないと 上野散策が締まらないような気がして^^)
この後は山から上野駅に降り、帰途に就きました。/おしまい。