京橋の「アーティゾン美術館 (旧ブリヂストン美術館)」 | おだわらぐらし

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2020 年1月に 「アーティゾン美術館」として開館なった 旧-ブリヂストン美術館 へ行ってみます。(因みに”ARTIZON アーティゾン”はART+HORIZONからの命名とか。)

(↑ストリートビューから。/右手前は「平和の鐘」。一時間ごとにカリヨンが鳴ります。因みに私達が聴いたのは3時の「サンライズ サンセット」でした。)

尚このビル、建屋名としては「ミュージアムタワー京橋」、という名称だそう。(美術館はこの中の1~6F。展示室は4~6F部分。)

↑八重洲通側_一階東の角部分。(先に国立映画アーカイブへ寄ったので こんな所から近づいております・・・)
↓建屋の北の角にある「ミュージアムタワー京橋」の入口。

(↑ここからは美術館へは入れません・・・)
↓国道15号線/中央通側。




↑入館します。
↓今かかっているのは こちら_

↑「空間と作品 / 作品が見てきた景色をさぐる」という企画展。
↓チケットを求め、6Fの展示室へ向かいます。

(こちらでは6→5→4Fの順に作品を鑑賞するようになっていました。)

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展示室内は撮影OKでした。(少し前まで日本では 美術館内で写真なんて考えられませんでしたが・・・欧米スタイルが浸透した、のかな?)

背中合わせに立つ 円空仏。

↑元はどんな所にいた のでしょう。

↓隣の部屋に ピサロの「四季」。

↓春。

↓夏。

↓秋。

↓冬。

この四枚は銀行家_ギュスターヴ・アローザの別荘のダイニングルーム用に描かれたもので 絵は掛ける位置も「戸口の上」と指定されていたそうです。

↑展示室には 観客が「ダイニングルーム」をイメージしやすいように、とテーブルが置かれていました。

↓ピカソの「腕を組んで座るサルタンバンク」

この絵は かつて ピアニストのホロヴィッツが セントラルパーク近くに所有していた家にあった、そうです。(五階建ての石造りの家のグランドピアノが置かれた二階の居間に飾られていたんですって。)
そうと知ると絵の サルタンバンク(旅芸人)は まるでホロヴィッツのピアノの演奏に耳を傾けているように見えてくる・・・。(脳内BGMは ホロヴィッツのシューマン『子供の情景』~)

↓丸山応挙の襖絵は_


↑架空の広間の襖、として飾られていました。(ここまで してくれる美術館ってあまり ありませんよねー)

↓リビングルーム風の空間 が作られていました。

(↑縦じまのサイドボードは エットレ・サットサスの作品。 アートとして展示されている物です。)
↓ソファのそばに佐伯雄三の『テラスの広告』。


(よくある)無機的な空間に並べられた作品~ とは やはり感じ方、違うような気がします。

今 いっとき、蒐集家 になった気分で作品を眺める~。


(↑唐の時代の『三彩万年壺』とムーアの『母と子』が 座卓の上に。)


(↑イラン カージャール朝の『多彩人物草花文タイル』)

5Fへ下ります。


5Fでまず会ったのは青木繁。(補足/青木繁は ブリヂストンの創業者石橋さんの 絵画蒐集家としてのそもそも、の立ち位置にある特別な画家です。)

↓自画像。(ちょっと自意識過剰?)


↑同じポーズのスケッチ。(こっちは「素」ですかね?)
青木繁といえば 海の幸 とか わだつみのいろこの宮 とかだけどなあ と思ったらー それらは4Fに飾られていました。/意図してそのような展示がなされていたのでしょうがー(意図 くみきれなかったので) 絵、続けて貼ります。

(↑重文『わだつみのいろこの宮』)
(↓重文『海の幸』)

↑後からサイズ変更されたと思しき跡を持つ 四隅に魚の彫られた木の額。中の絵は 右に空白部分~、あちこちに残る下描きの線_ 色々な逸話を持つ作品。

って いかん こんな調子では紙(?)が足りなくなる。深く印象に残った絵を数枚貼って終わりにします。

↓ルノワールの『すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢』。

有名な『シャルパンティエ夫人とその子どもたち』の左端に 横顔 で描かれている6歳の少女~ の4歳の時のポートレイト、だそう。 因みに『~その子どもたち』の真ん中に座っているワンピースを着た可愛い幼児は ジョルジェットちゃんの”弟”のポール君。 / シャルパンティエ家はその後没落し 後継だったポール君も亡くなり  ジョルジェット嬢と(ポール君の下の)妹は 両親から相続した美術品の大半を売ったそうですが、_ジョルジェット嬢はこの絵は生涯大切に持ち続けていたといいます。/ バラ色の頬の おしゃまなポーズの少女の肖像画が ジョルジェット嬢にとって「確かにあった幸せだったあのころ」を思い出させてくれる大切な宝物だったのだと知ると・・・ ジーンとしますね。

↓マティスの『縞ジャケット』

モデルはマティスの長女マルグリット。首のペンダントトップのついた黒いリボンが御洒落です。上に貼った ジョルジェットちゃんもペンダントトップつきの首飾りをしているし 「昔流行ってたのね?」位に思ったのだけど、実は マルグリット嬢の場合は 「幼少期に受けた気管切開を伴う手術の傷を隠すため」 だったそう_。 写真に見る彼女も首に黒いチョーカーの様なものをつけています。 /「ああ、、、 そうとは知らず・・・ごめんなさい」でした。

↓モネの『黄昏、ヴェネツィア』。空も運河も黄昏色。ミュッセの「紅に染むヴェニス~」という詩の通り、ですね? (って最近知りましたが ミュッセはあの詩を書いた時はまだ ヴェニスに行った事がなかったんですってー? で、ミュッセのこの詩を歌曲にしたグノーの方は 作曲する前に「実際に行ってみなくちゃ」とヴェニスへ旅をしている~・・・)

(↑そうそう、絵本『カロリーヌとふねの旅』でカロリーヌちゃんもヴェニスのゴンドラの上でミュッセのヴェニスの詩を吟じていましたっけ。「有名な詩よ?」とプフに教えながら。_その後はオトボケな展開になってましたが_)

↓ピカソ『女の顔』
ギリシャ鼻のモデル 波打つ髪 身にまとうドレープのある白い服(或いは布)立体感のある塗り方・・・ まるで彫刻の様。(最初の妻オルガの肖像にそっくりなので この絵のモデルもオルガかな?/←諸説あるよう)

戦前に購入された物だそうですが 1952年の ブリヂストン美術館 開館時のポスターの「表紙」になった 美術館の顔 的な絵、なのですって。

↓藤田嗣治『ドルドーニュの家』

↑え?フジタ? と思うも そうとわかると「すごくフジタらしい」と感じてしまう、不思議な絵^^;)(特にこの白は 確かにフジタの白 ですね?)

↓亭主が「あれ?麗子像ってここにあったんか?」と言うので 「麗子像は(重文になってる国立博物館所蔵の あの絵の他に) 沢山あるんよー」と教えて・・・

そういえば いくつあるのだろう とググったら 現存するだけで43枚! だそうです。/ ちなみ岸田さんの作品は 絵 もさりながら 「劉生縁」と呼ばれる程 額にも拘ったそうで、この絵も「額縁と一緒に」鑑賞すべき、らしい。

↓これは『夏図(十二か月図の内)』

↑中の絵は 師匠の酒井抱一(ホウイツ)、周りの表具部分には弟子の鈴木其一(キイツ)が絵を描いています。という訳で 珍しい 師匠と弟子のコラボ作品。 (丁度この日は出光美術館で抱一や其一を観てきたところだったので 勝手に「やぁ又逢いましたね?」な気持ちに^^)

↓茶道具の展示コーナーでは・・・

横の解説に「持ち主がどれほど作品を愛(イトオ)しんでいたか、その付属品を見ると分かります。鉢や茶入れを直接包む仕覆(シフク)から、それを収める箱、そしてその箱を包む風呂敷など。愛着だけではなく、その人のセンスまでもうかがえますね。」とあり は っとさせられました。(なるほどー そこまでを含めて鑑賞しなくちゃねー)
↓景徳鎮窯『五彩龍神仙文小鉢』


↓薩摩・竪野窯 肩衝(カタツキ)茶入 銘『松波』


この企画展では 作品その物 だけでなく、そのバックや その周辺 についても考える事ができました。色々 興味深い事でした。


とりあえず このあたりまでに_

(↑6Fの「セクメト」)

(↑4Fの「勝利の女神」。/受験生が願掛けに来るらしい・・・)
(↓吹き抜けを見下ろしたところ_)

おしまい。

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でこの後は 又新幹線で ぴゅう と小田原へ帰ったのですがー
改札を出た所で こんな手作りオブジェを発見。(乗る時も気づけたハズですが)

↑そうそう、今年10月で新幹線は60歳(還暦)になったんですよね。
~とそこまでは分かってましたし、
新横浜駅 新大阪駅 など、新幹線の開通に合わせて開業なった駅でも それぞれ60周年が祝われた~ という話もブロ友さん達から伺っていました。
↓が、そうか 小田原の新幹線駅も60年目なんですね。(小田原の場合は 元々東海道線の小田原駅はあったので ちょっと重みは違います、が。)

新幹線よ、60年間ありがとう!

いやいや これからも 引き続きお世話になります。/ 改めて よろしく。