宇都宮の篠原(シノハラ)家住宅 | おだわらぐらし

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

宇都宮へ戻った私達がまず向かったのは 国指定重要文化財の篠原家住宅

_と その前の事ですが...
駅の西口からペデストリアンデッキへ出たら~

こんな子が立っていた・・・

↑不思議過ぎると思ったら これは 横顔でした。
↓が 正面から見たら 更に不思議、でした。

が じんわり「あぁ... 餃子」とわかりました。
↓足元のプレート。

↑!そうそう、テレ東の「おまかせ!山田商会」の企画で 「餃子の街 宇都宮」がプッシュされ 全国的にメジャーになったのよね?

ペデストリアンデッキ。その先にはこんな 「きゃー 危ない?」なブロンズ像もありましたー。

デッキを下りー

北へ歩くと 程なく目指す篠原家住宅が見えてきました。

あ、屋根の棟の先っちょに「/\サ(ヤマサ)」って見えます。


ここお醤油の「ヤマサ」さんの本家?(←違いました) 篠原と書いて シノハラ じゃなく ササハラ と読むんだった?(←いえ シノハラ でした)

えー まずは入口へ。


↑後で道の向こうから撮った絵 // この 正面の主屋と左の蔵(共に明治28年に建てられたもの)は 国の重文、ですって。
↓どっしりとした店構え!近くで見ると 迫力 さえ感じます。

(竹炭を練り込んだという黒漆喰が 渋さと重厚さを出してますねー)

尚 こちらは 醤油醸造や肥料商として財をなしたお家だそうですよ?

見学させてもらいましょう。

(↑土間部分に昔の看板。)
(↓リーフレット。)

↓通り側。


↓土間側の部屋。


(↑番頭さんが座った帳場)



(↑この箱階段は後で下りる事に~)
(↓尚、土間をはさんで向かい側にも 箱階段ー)


(↑ここは 使用人の休憩室だそうですが 造り付けの炬燵があったりして~ 当時としては使用人を大切にしていた のがわかりますね?)

土間を抜けてー


奥の庭から見る館。

土間から一つ奥の並びの部屋べや。

(↑左の幕に商標の「/\+サヵ」/ 元は/\の下に篠原家の屋号「堺屋(サカイヤ)」の「サ」を記していたそうですが、千葉の醤油屋ヤマサとかぶらないよう 後に「ヵ」を加えるようになった~ そうです。/余談ながら千葉のヤマサの商標には上という字が足されています)

↓この蓄音機は 「かのEDISON(エジソン)社の?」と見せて_

「EGISOHON」~。(^^;)


金庫も見応えありました。


↑苗字と家紋入り!
↓桐の小引き出しは ハメコミ ですかね?







↓ガイドさんが天井を指し、

↓「あれ、何だと思いますか?」

と尋ねるのに 「ガス栓ですかね?」と言ったら 「その通りですが 何のためのものか おわかりですか?」と更に聞かれました。
「んー 鍋のコンロ用 かなあ?」と言ったら 「答えは 照明です。ガス灯が使われていたんですねー。」との事。 そっ そうかー!(恥)

階段を上がって二階へ。

↑のぼり ↓くだり

↓階段をのぼりきったところ。

↑左-庭側 右-通り側。
↓通り側の部屋。

↓通り側の部屋から 庭側を見たところ_。

↓庭側の部屋。


↓地袋の鯉は 宇都宮に生まれた絵師菊池愛山の筆になるもの、

↓床の軸の絵は 児玉果亭の筆~ とか。

↓庭側の廊下。

↓二階から見た庭。

↓石の蔵。

(蔵も後で見学しました。)

廊下を挟んで南の広間へ。

(↓廊下の階段。ここが下で見た「箱階段」に続いています。/ 後で通ります。)





改めての広間。


小壁には中林梧竹(ゴチク)の書。

↑「年逢大有」
↓床の間の絵。

↑高森碎厳(スイゲン)の「青緑山水図」。(宇都宮市-蔵)


中庭へ出てみます。


↑母屋の南東の角。
↓南面。


↑下半分を大谷石のブロック、上を黒漆喰にした 大胆なデザインの壁面。
↓「ツボ」と呼ばれる 漆喰で造った お椀 みたいなふくらみ部分。上は メンテ用のL字フックが埋め込まれています。が 下のものは 意匠 として付けられていますね?

石のブロックのすきま塞ぎが
「なまこ」になっていますが、この 直線と ツボ の組み合わせが (何というか)リズミカルでおもしろい。

蔵の方は~
主屋と違い 白漆喰が使われていました。

(蔵は敷地北側に三棟並んでいました。)

↓右の蔵「石蔵」。江戸時代の終わりごろ建てられたらしい、との事。


(↑入口は閉じられていました。)
↓嘉永4年(1851)に建てられたというまん中の蔵「文庫蔵」は 中も見学できました。




(↑手前のバケツみたいなのは 洗濯機かと思ったら 「米とぎ機」でしたー。)
↓二階へ。



(↑衣装箪笥が置かれています。)

↑梁には 龍王 合朔 上載 ~ などの字が見えます。
↓下りましょう。


↓道側に建つ 左の蔵。




↑この蔵だけ 向きが違います。( 隣の二棟は中庭側を向いていましたが、これは となりに建つ蔵の壁側に入口があります。) 明治28年に 主屋と同時に建てられたこの蔵は「新蔵」。

↓時に_この「新蔵」のすぐ南は 主屋の北面。

↑この主屋の裏口に 北の蔵の戸口が向きあっていれば 「便利なんじゃないの?」と思うのだけど・・・。 (しかも 主屋と新蔵は おなじ明治28年に建てられた~ というし・・・) あえてそうしなかった、という事は 「戸口を向き合わせにしない」事にも 意味がある、って事ですよねー? (わからないけど)

引き返します。



あー おもしろかった! 見応えあった!

伺ってよかったです。