宇都宮から石橋までを歩きました。
(石橋のとんかつ屋「高砂」でのお昼を楽しみに!)
出発したのは 小雨がぱらつく寒い朝_

えー まずは「銀杏通り」を通って 旧-日光街道、へ出ましょう。(国道119号線をそのまま南へ進んでも 少し先で旧日光街道と合流したのですが どうせなら黄葉の下を歩きたくもありました、し。)


今いるのは「鳳来町」(←旧町名/現在は西3丁目)。


↑あ、日光街道はお城(宇都宮城/別名-亀ヶ岡城)を避けて 大回り してるんだー。
左手に「菅原神社」があったので 挨拶していきます。

おっと 右手に思いがけなく(?)

きんじろうくん を発見。

(おつとめご苦労さまです)
↓改めて「菅原神社」。

↓説明板。ほとんど読めませんでした。

↑が、宇都宮城の西の鎮護社として建てられたもののようですね。
↓入口上の板には「天満宮」と記されていました。

旅路の無事を祈ります。
少し行くと_

「蒲生君平(ガモウクンペイ)勅旌碑(チョクセンヒ)」という屋根付きの顕彰碑が立っていました。


石には「勅旌/忠節蒲生君平里」と彫られていました。(街道を行く人に 宇都宮が蒲生君平の里である事を示しているもよう。尚 実際の生誕地はココではなく新石町(今の宇都宮市小幡一丁目)で、オノセビルが建つあたり~だそうです。)

不動前交差点。

ここで旧街道は国道119号線と合流。
↓尚 交差点の名になっているお不動さんは こちら。

(道のこちらから眺めただけです すみません)
わー 大きな木!(欅でしょうか?)

木の根方に祠があり、その前には鳥居も置かれていましたから 信仰の対象、なのかも?

少し緑がかった薄灰色の石の蔵が あちこちに見られます。大谷石でしょうか?



(↑道の向こうの鳥居の奥に建つ神社は「菅原神社」でした。)
寿鶴(スズ)薬師堂というバス停脇にあるのだから これはきっと寿鶴薬師堂_。


(↑ペンキ塗りたて~な感じでした)すごく目出度気な名前がついたお堂ですがどんな謂れがあるのでしょう?読み方も特殊だし_。
左手に雀宮(スズメノミヤ)神社。

鳥居の扁額の文字は「郷社雀宮神社」。

地名にもなっている雀宮ですが 名の由来 祭神 所説あって定まらないらしい。(明治以降は 素戔嗚尊を主祭神 藤原実方を相殿の神としているようです。/ _先程のスズ薬師 と スズメの宮 には関係は無いのかしら?)
雀宮神社の少し南にこんな石碑が立っていました。

↑んー読めない。けど リーダーの持つガイドブックには載っていた。「馬頭観世音 だって。」 あ そっか。
雀宮駅への案内表示。


↑ちなみに、こちらの建屋は_
「旧仮本陣芦谷家」との事でした。
更にその先には、

↑「雀宮本陣跡」もありましたがー
↓こちらは そうと記された石柱が立つだけでした。

その先に_
陸自の駐屯地のゲイト。


雑木林の向こうには_

星宮神社、がありました。


_ここ「鞘堂(サヤドウ)」(←地名)の鎮守、だそうです。
又行くと_
道の東側に鞘堂地蔵尊。


↑地名「鞘堂」の由来になったという地蔵堂。/ 1380年の「小山・宇都宮合戦(小山義政の乱)」の戦死者の鞘を集めて埋め、その上に地蔵堂を建てた~ と伝わっているそうです。
国道から旧道へ入ります。


↑大谷石の塀、
↓大谷石の蔵_。

おや、あぜ道のような所へ出た。

草が伸びてて めっちゃ歩きにくい。(+ひっつき虫だらけに^^;)))

更にその先で 道 無くなってた。

オススメしませーん^^;)
国道に戻ります。

さてそこから か~なり歩いた先ですが_
押しボタン式の信号機がありました。

信号機自体は 「何のヘンテツも」なのですが_ ボタンの場所がすごい!

↑「必要最小限」削られた塀の向こうに 知ってる人しか押せないボタン!!
石橋山-開雲寺まできました。

江戸時代は 日光へ参拝する将軍の休憩所になっていた~ そうです。/あ、それで幕に葵が。
(因みにこちら真言宗智山派のお寺。 前の回でも 将軍の休憩所になっていた~という野木町の八幡様によりましたが、あそこの別当_法音寺は真言宗豊山派でしたよね・・・ 休憩所の宗派は 特に問題ではなかった、のかな?)
伺ってみましょう。

山号の石橋山(セッキョウザン)は地名から、ですかね?

門の両脇には仁王さん。


門を潜ると~

左手に「下野市名木30選」というマツ。(まさか 折れた木の事じゃないよね?)

右手には鐘。

↑この鐘は 記された梵字が独特な上 音がとても良い、というので 戦中の供出を免れてします。(独特な梵字 ってどんなの、かなあ?近くで見たかったなー)
↓無事 石橋まで来られた事に感謝。(合掌)

さ、楽しみにしていた昼ご飯。
予定通り「高砂食堂」で頂きましょう!



つづく