カフェ「えじまや」 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

箱根口(ハコネグチ)交差点の片岡美術店のー


西隣の器屋「江嶋屋(エジマヤ)」さんがカフェを始められた~ というので 行ってみました。

江嶋屋さんは 一号線に面して ずらり と 詫び・さび・民芸調 と渋めな器を並べる 大きなショウウィンドウ、が印象的・・・

なのですが、同時にその濃く「和」な雰囲気は お茶や器に対する知識の乏しい私達の様な者にとっては「気おされる」というか「気おくれする」 感じがして これまで暖簾を潜った事はおろか 入口に近づくのも勇気がいった のでございます。

が、カフェという事なら~。


↓入口近くに置かれていたメニューボード。


↑色々ありますね、そして お値段リーズナブル。
頂いてみましょう。

「こんにちはー」

お好きな席へどうぞ と言って頂く_。

(↑初めて知る お店の造り_。)
(↓奥に二畳の茶室。)


(↓西の壁側に腰掛待合風のベンチとテーブル。)


(↓南側が商品の陳列スペース)

(↓ウィンドウ越に一号線を見たところ)


(↑向かいは「ヤマト運輸」の集荷所。/後で教わりましたが あの場所にヤマトさんがあるのは戦前から、だそうです。)

↓東側に二階への階段。

お店の方に「二階で召し上がる事もできますよ?」と言われ 二階へもお邪魔してみます。


(梁を斜めに 格子状に渡した天井、手すりつきの階段、モダンで素敵ー。)

上がった所には シャンデリアが下がっていました。

お店の方が 「シャンデリアは違うんですがー ・・・ 他の 壁の照明は大正時代の物なんですよ?」と教えて下さいました。 +窓ガラスも 黄色いところはオリジナルの大正時代のもの。白いところは昭和~ だそうです。

(こちら_関東大震災後の大正年間に建てられた建屋、ですって。)

(↓窓の下の腰板には 昔焼き物を運ぶのに使われていた荷箱が再利用(リスペクトからのリユース)されていました。)


(↑京都は五條坂の「京焼産業」さんから焼き物が届いていたんですねー。)

↓西側の壁の向こうのスペースは「舞台」として使われていたと言います。(ここはお店というだけでなく 文化的なサロン のような場所だった、のかな?)


(↑カシニョールの絵の下に 「東京・三越/ 三越御用御取次」の掛け看板。 _ 戦前小田原の海辺には資産家の御屋敷・別荘が多く 江嶋屋さんはそうしたお宅と東京の三越百貨店との間の注文・配送の取次をなさっていたんですって。尚、商品の運送は 今も変わらず道の向かいにある「大和運輸(=現・ヤマト運輸)」さんが担っていた、んだとか。/ へーっ)
↓南の窓。

↑窓際、部屋の中央の大テーブル、 どこでも飲食可、ですって。

でも わざわざクーラーを入れて頂くのも 二階までお料理を運んで頂くのも申し訳ないので 「やっぱり 一階で頂きますー」~。


↑福禄寿さんの隣に座りー
↓改めて見る メニュー。



↓ドリンクメニュー。

↑「お、ビールがあったー」と喜ぶ亭主。

↓早速の「とりあえずビール」。


あ、頂いたのはー
↓私が「おすすめ!!」の「大人のおこ様ランチ」。(プリンつきー)

↓亭主は「洋風えじまやプレート」に。

(↑この日のグラタンは海老マカロニグラタンでした。/ 割りばし、店名入りー)

「いただきまーす。」
「懐かしい系の御馳走~♪」

勢いで? 食後に_
私は「メロンクリームソーダ」、 亭主は「大人のプリン」と「コーヒー」を頂きました。


↑「大人のプリン」は茶碗蒸の器で出てきましたー^^)/ アパレイユは私が頂いた「おこ様ランチ」のプリンと同じ、かもしれないんだけど ダントツでこっち(大人のプリン)の方が味が深くておいしかった。やはり 底にカラメルがあるのが大きい のかな?



私達がこの日の最初の客だった事もあってか お店の方が (ご自身の)お爺様から聞いた~ というお店の話を色々して下さいました。

「江嶋屋」という店の名は 銀座通りのお茶屋さん 江嶋屋さんで番頭までつとめた御先祖様が 明治時代に暖簾分けとしてもらった事。/ 暖簾を分けるにあたっての決め事に 「四里四方中では 本店と同じ商売をしない」というものがあり、こちらは 器屋さん始められたそうです。 同じように江嶋~を名乗るお店は 以前は小田原市内に幾つもあったそうですが それぞれ 呉服屋 や 漁網屋 など「お茶以外」の御商売を選ばれてたそうです。(遠い場所で開店したお店の中には 本店と同じ「お茶」を扱うところもあったそうですが。)  今「なりわい交流館」になっている建屋も 元々は「江嶋屋(漁網)」だったそうですが 今の私達の目からは「立派な建屋~」 と見えて 実は「本店より大きくするのは失礼、と遠慮をして建てられたそうですよ?」との事でしたー。

↓壁に飾られていた役者絵。(三代目 沢村田之助)

↑その左に北原白秋自筆の短冊。(お店に立ち寄った際に書いてくれた そうです) /「さしのぞけば向ふのよせ(寄席)に 人形の治兵衛踊れり なんとせうぞの」(←白秋の詩集『桐の花』の中の 「夕ぐれ」の段の二首目_、だそう)

_治兵衛って 心中天網島の紙屋治兵衛ですかね? 当時の寄席では浄瑠璃が掛かったりしてたのかしらー? とそれはわかりませんが、 白秋のサインが見られたのは大きい。/ 覚えましょう。


カフェ なだけじゃない、小田原について 色々学べる「えじまや」さん、 素晴らしい!


_でした。