(席の予約はできないけれど 取り置き はOK、というので 取り置きをお願いした上で。)



ちょいと早めにお訪ねしました~。(いちばんのり^^)

メニュー。

まずは_
インドのビール「ゴッドファーザー」を頂きましょう。(爽やか~ なビールでしたよ)

調子に乗って 亭主はオレンジワインもー。

あ、カレー来ましたー。

今回のカレーは「ミールス」風。トレイには玉ねぎのアチャールの載ったインド版酢飯(?)。はやづみみかんと ゴーヤも添えられてー。

お椀型の器(カトリっていうそうな)には チキンのカレーとヒヨコマメのカレー。パパドつき。(↑写真のパパドはもう半分程割ってます)
↓これを あいがけにー。

味と香りと刺激が合わさり重なり じーーーん (?)/ 色んな種類の珍しいスパイスの名前を聞いたのですが 覚えきれなかった^^;) // ともあれ大変おいしゅうございました。
最後に 黄桃のラッシー(ミニサイズ)を
頂いて_

「ごちそうさま」。
どこか 遠い 南の国へ(心だけ)旅したような気分にー。/ おしまい。
↓前回お訪ねした折の話ー。
<おまけ>
カレーの余韻を海辺で~ と思ったのですが・・・

運野商店さんの横から続く 南の海へのトンネル(西湘バイパスの下の通路)~ は閉じられていました。


↑この日の未明は凄い雨と風でしたから・・・消防団の人がゲイトを閉じて下さったのかもー。
_と左手にこんな碑が。


↑「川崎長太郎 小屋跡
川崎長太郎は、明治三十四年此処 千度小路(センドコウジ)の魚商太三郎の長男として生まれた
大正十一年上京 詩誌”赤と黒”の創刊に参加 のち徳田秋声に師事して「無題」「余熱」などを書いた
昭和十三年小田原に帰り海沿いのトタン小屋に起伏「裸木」「父島」「抹香町」など私小説ひと筋を貫いた
昭和六十年十一月六日没
文学碑は 市内早川観音真福寺境内にある
平成四年十一月
川崎長太郎文学碑を建てる会」
上に書かれているのは『抹香町』からの一文_。 「屋根もぐるりもトタン一式の、吹き降りの日には、寝てゐる顔に、雨水の可可るやうな物置小舎に暮し、いまだに、ビール箱を机代りに、読んだりかいたりしてゐる」(←抹香町はかつて小田原にあった娼婦街、だそう_)/ そんな執筆環境だった、んですねー。
この後はフェンス沿いに西へ歩きました。


(↑途中、森田氏の私有地 を通らせて頂きます。)
↓浜の公園児童遊園地。



その先のスロープから海へ下りようと思ったのですが・・・

↑ここも閉まっていました_。
↓もう1ブロック歩きましたが・・・


プール横の海へのトンネルも閉まっていたので_、、、

海を見るのは諦めて、 帰りました^^;)

(↑↓国道一号線の街路樹 百日紅)

おしまい。