話を一度 この日 熱海に着いたところ、に戻します。

↑駅から 平和通り名店街を通り(お昼を頂く洋食の「スコット」を目指して)海岸へ向かいます。

途中の大江戸温泉入口脇にこんなレリーフが。

↑そしてその横には「熱海駅舎跡」と記されたプレート。

↑「豆相(ヅソウ)人車(ジンシャ)鉄道 / 小田原 ー 熱海」 ロゴは 〇に人。 (豆相は豆州(ヅシュウ=伊豆)と相州(ソウシュウ=相模)を結ぶ~の意味。人車鉄道は 馬車鉄道の人版、です。
↓説明板。

「豆相人車鉄道(ヅソウジンシャテツドウ)
「豆相人車鉄道は雨宮敬次朗氏と、地元の有志20余名の努力によって、明治29年(1896)3月、熱海ー小田原間(25km)全線が開通した。所要時間は4時間ほどであった。この人車鉄道は定員6名あるいは8名の客車を3名の人夫が押すという、きわめて原始的なものであった。明治29年当時の運賃は熱海から小田原まで、下等40銭、中等60銭、上等1円、3歳未満は無料、10歳未満は半額というものであった。
「豆相人車鉄道」は日本最初のもので、明治40年(1907)12月、軽便鉄道にかわるまでの12年間、貴重な交通として利用された。」
(詳しくはこちら↓で。)
Wiki-熱海鉄道
(おまけ/ 芥川龍之介の『トロッコ』は 軽便鉄道敷設の工事現場が舞台。小説の元となる素材(文)を提供した人は力石平蔵という湯河原の人だそうです。)
そのすぐ隣のビルの一角に_
長寿の湯 という温泉の湧湯ポイントがありました。

さすが熱海。色んな所からお湯が湧いてるんですね。

しかし、ここは「熱海七湯(アタミナナユ)」には含まれていません。
因みに「熱海七湯」というのはー↓
https://www.city.atami.lg.jp/kanko/onsen/1001823.html
↑この 七か所。
では 一つ一つ回っていきましょう。

スナック喫茶くろんぼ を過ぎー

(↑こんな看板もいつか見られなくなるんだろうな なんて・・・)
次の角を左へ曲がると~

創業1806年、熱海一の老舗旅館「古屋」さんがあります。

角には・・・

↓「熱海四等郵便取扱所開設旧跡 / 明治六年七月一日開設」と刻まれた石が。

(尚、Wikiの「熱海郵便局」によると_明治8年に 熱海郵便取扱所は「熱海郵便局(五等)」となっています。)
さて、古屋さんの向かい、に 七湯の一つ「清左衛門の湯」 があります。


↓昔はここから湯が湧いていたらしい・・・。

今は水脈が変わったのか 湯気が出るだけですが。

(↑見た目はほぼ 小さな溶岩ドーム。)
坂の下側に説明板がありました。



↑左は「七湯」のマップ。右は「清左衛門の湯」について。
↓思いのほかに痛ましい話・・・。

その横に「温泉コア」「築城石」について書かれた駒札。

↓温泉コアというのは どうやら説明板の手前の 土の円柱の事のようです。

(昔のボーリング技術だと円筒で地面をくり抜くように掘削した後 中につまった「コア」を取り出す必要があった、んですね?)
↓コアについての情報を頂いた頁。
https://www.mizu.gr.jp/images/main/kikanshi/no22/mizu22d.pdf
_しかし「築城石」はどこに?
ググってたら 数年前撮られた画像では 説明板の下に 石が二つ置かれている のを発見。・・・ 説明板の下の緑をかき分けると今もある、のか 無くなったのか・・・。。。
しかし 気づけば 七湯の最初の清左衛門の湯だけで この長さ? / この後は とばして参りましょうー。
<余談>
熱海七湯_ 「あたみななゆ」 と読むんですね? 箱根七湯が 「はこねしちとう」 なので しちとうか、と・・・。/ 覚えます^^;)