起雲閣(キウンカク) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

熱海では起雲閣へも行っております。

(現在正面玄関は工事中、だそうで、 裏から回ります。)





(↑かなり進んで やっと右手に起雲閣の建屋が見えてきました。)

ここが入館口。



(↓本来のアプローチ。)


ではお邪魔しましょう。

(↑熱海市指定有形文化財「起雲閣」)

入るとまず 「麒麟」というお部屋で説明を聞きますー。

(↑フロントから麒麟へ向かっています。)
↓MAP。

↓スリッパを脱いで 麒麟に入ったところ。



(↑畳敷きの縁側)
麒麟は 起雲閣一の広間を持つ部屋で、かつては囲碁対局の会場にも使われた~ そうです。



さて、起雲閣を鑑賞するには まずその「歴史」を知る必要がある~ ようです。
(↓床の間横にあった説明板。)

(↑へー元々は最初の所有者が お母様の静養の場として築いた所、なんですね。 群青の壁は旅館時代に塗られたもの~ ですかー。)
(↓手前の部屋に置かれていた屏風型の説明パネル。)

まず1918年に内田信也が建設に着手。翌年「内田別邸」として完成しています。今いる本館 及び離れ「孔雀」の棟は当時の建屋だそう。
1925年、所有者が根津嘉一郎に変わり 建屋は「根津熱海別邸」になります。根津さんは敷地を徐々に広げていき(入手した土地からは温泉が湧いています) 東西に洋風の棟「金剛」「玉渓」を建設。
1947年、所有者は石川県出身の桜井兵五郎になり 桜井さんは旅館「起雲閣」を開業。桜井さんは「宴会場(現・音楽サロン)」など いくつもの棟を敷地内に建てられています。
1999年に旅館が廃業となり、
翌2000年より所有者は熱海市に。
こうして現在の観光施設「起雲閣」がオープンすることになったんですね。

麒麟の間では 庭についても説明を聞きました。

お庭は 二代目の所有者根津さんが ほぼ今ある様子に整えられたそうです。石にも拘りをもち 自ら作庭家に指示を出しておられた~ んだとか。(後で「根津の大石」と呼ばれる石を運ぶ写真を見たり 庭で実際に石を見たりして 「へー」と言う事になります。)
又、はまっているガラスには大正時代のものもある~ そうでした。

(↑な なるほどー 歪み が_)

この後は 見学者達は自分のペースで館内を鑑賞~ することに。

見落としを作らないよう、順路通りに回りましょう。

(↑階段途中に置かれている札には「階段が急ですので 十分注意して下さい」と書かれていました。)


二階_「大鳳(タイホウ)」。



付け書院の障子の桟が「竹」ですー。


(↑節が素朴で素敵ー。)
↓この部屋からは庭がよく見えました。







そして(写真ではわかりにくいのですが)壁が「紫」に塗られていました。 (一階の麒麟同様に 旅館時代の所有者の好みで「加賀風」に。)

↓どなたの歌か・・・

「水無月の 雨よふれふれ起雲閣 太宰治は憂鬱なる顔」ですって。
↓その隣に大鳳の説明文。

「「大鳳」は10畳の御居間と8畳の次の間からなる二間続きの座敷で、庭側の三方に畳廊下を廻してございます。
 壁の色は旅館起雲閣になって塗り替えた色を配しております。
 こちらの「付書院」は、組子を割り竹で作っており、竹の節を模様のように取り入れているようにも感じられます。
通常の障子と違い節がある分、障子張りは手間がかかります。

 太宰 治は昭和23年3月18日から2泊「大鳳」のお部屋に山崎富栄を伴って滞在しております。
二人で入水自殺する3ヵ月前の事です。
二人は、どのような心境でこの部屋から庭園を眺めていたのでしょうか?

 創業時(大正8年)の歪んだガラス窓からは、根津嘉一郎が手がけた庭園を真下に見ることができます。根津嘉一郎は山梨県出身です。故郷に流れる笛吹川を想い「根津の大石」の傍を流れるように池を配したのではないでしょうか。

 こちらからは洋館「玉姫」のガラス張りの屋根がご覧いただけます。下はステンドグラスを配したサンルームです。」

一階に戻ります。



おや ここは「橋」?

(時々ありますよね、管内に橋が作られている旅館_。「はやり」のようなものだったのでしょうか?)

順路に沿って 洋室の方へ行ってみます。


洋室は「サンルーム」「玉姫」「玉渓(ギョッケイ)」で一つの棟になっています。
(↓説明板)

(↑二代目の所有者根津さんが作られた建屋なんですね?)

↓まずは「サンルーム」。

↓タイル張りの床。


ステンドグラスの屋根。

↓装飾的な照明。


↓「玉姫」は入口に規制線が張られていて 立ち入りはできなくなっていました。
という訳で サンルームから眺めた図になりますがー



壁に暖炉を持ちながら 上には折り上げ格天井(ゴウテンジョウ)~という「和洋折衷」のお部屋になってました。(尚 天井には金唐革紙(キンカラカワシ)が使われている との事)
(↓壁紙は紙かな?布かな? 近くで見たかったなー。)

(↑規制線の向こうは「玉渓」。)

サンルームから「玉渓」に入ります。

パ っと見ヨーロッパ風ですが

ところどころ アジアン な感じ。

特に暖炉回り。

マントルピースの上の壁には仏陀と脇侍達のレリーフ。

↑三尊はよく見るけど これは五尊?/如来の両脇が菩薩で 両端は梵天+帝釈天でしょうか?
↓菩薩の載る花のそばには獅子が座ってますよ。

↓暖炉の庇(?)部分には凸文字で梵字が。

↓奥には龍?

↓薪を置く鉄のグレート(火床)の足も 龍っぽい。

↓ステンドグラスはベルエポック期の雰囲気ー。




↑部屋の奥から窓側を見ると イギリスのカントリーコテージ風、かな?

「玉渓」から廊下に出たらー

↓廊下側に「玉姫」の窓がありました。

旅館時代に 本館(←最初のオーナーが建てた)と洋館(←二番目のオーナーが建てた)を廊下でつないだ~ とか、でしょうかね?

玉渓のすぐ横の小部屋に_
二番目のオーナー根津さんが写る写真が展示されていました。面白かったので 貼ります。

(↑本館前。今は庭になっている部分が未造成ですね。)

(↑大きな石をコロで移動させてます。これが「根津の大石」かあ! 尚この石、庭に運ぶまでとんでもなく時間がかかったそうなー。)

(↑作庭家さんと根津さん。)
で この「根津の大石」は 今も庭にあるそうなので後で見に行く事にー。


さて廊下づたいに進むと、

かつて文豪たちが利用した客室が 展示室 として公開されていました。









(↑奥は 夫人用の化粧+更衣のための小部屋)

(↑眺めのいい部屋です)


(↑この部屋(初霜)から見る「玉渓」の出窓、 ちょっと素敵ー)

「春風」という部屋には 尾崎紅葉関係の資料が色々ー。



窓からは池がすぐそこに。


赤い壁もオシャレー。

あははは 寛一お宮のこけしだ~^^)

(↑よく見ると寛一は学生服の上にマントを羽織って チラと宮さんを見てますー。)
(↓みやさんはしらんぷり?)


続いて「松風」。

こちらには坪内逍遥関係のものなどが。

逍遥は熱海とゆかり深い人だそうで、2月28日の命日には、ここ起雲閣で 逍遙を偲ぶ記念祭が行われるそうですよ?

落ち着いた部屋ですね。



(↑「熱海の栄」「熱海ページェント」・・・ この辺りの古い写真は なかなか興味深かったですー)

「金剛」という洋館に入ります。


(二代目のオーナー根津さんによって建てられた洋館を 旅館時代に廊下でつないで「部屋」にしているんですね?)



↑向かいのアーチ窓をもつ建屋は「ローマ風浴室」。(浴室の向きは平成元年の改築で位置と向きが変えられていますから、元々はこの部屋からお風呂が見えた訳ではない、んですね^^;)
↓庭側の窓は 張り出しに。いや ベンチ付き?



↓「金剛」にも暖炉がついていました。


(↓先ほど見た「玉渓」とは異なり 暖炉のアーチ部分の庇に梵字などは描かれていませんでしたが 奥のプレートに卍がー。(宗教的な意味は持たず単にデザインとして使われているだけだろうとは思いますがー)

(あと、どーでも的にー)ステンドグラスがどこかチャイナな感じでしたね。


「金剛」は二間続きになっていました。


(↑右の廊下とつながっているドアあたりは 元々は「玄関」だったといいます。)

↑今は旅館時代に建て増しされた「松風」の部屋の壁が迫っていますが 元々はお庭の見える解放感溢れる部屋だったのでしょうね。(古い図面では「ベランダー」と記されています。)
↓床。


↓天井。


(↑トールペイントの小箪笥が置かれてますが 元々はどんな設えだったのかしら?)
↓この部屋で特記すべきはナゲシに施された螺鈿。

ちょっと「乙女」受けする感じ。

↓花のデザインのステンドグラスともマッチしてます。

(女性に好まれるよう意識した造り、といっていいかな?)

↓説明板。

↑隣のローマ風浴室と一緒に「説明」されてます。実は 根津さんが建てられた時点では ここは広い浴室を持つ一戸建ての洋館、だったのです。↓

(↑字は読みにくいのですが 左の白い四角の中は「浴室」だと思います。/この図では浴槽は一つ、のようですが 「旅館」だった時代にここで撮られたという映画『雪夫人絵図(1950年)』では 浴槽は二つ、になっています。)

(↑これは館内に貼られていた資料から)

↓今のお風呂はこんな感じ。建屋の向きも90度回っている~ そうですし 湯舟も少し変わっていますが、雰囲気はほぼ 当時のままですね。





旅館時代の起雲閣では 浴場はもう一つ作られています。




↑湯舟 の中に「染殿の湯 由来」という文。/ きっとこの浴場は旅館時代「染殿の湯」と呼ばれていたんでしょうね?

続いては離れ「孔雀」を見ましょう。(孔雀は 最初のオーナー内田さんが建てられたもの。当時は本館横にあったそうですが 旅館となってから二度移築されて今に至っている、そうです。)

↑廊下から 一度庭側に「出て」建屋に入ります。

本館同様、入側造(イリガワヅクリ/ 広間の外側を畳敷きの縁が巻く造り)です。





深いベンガラ色の壁。(これも多分 旅館時代に三代目オーナーの好みで「加賀風」に塗られた、んでしょうね?)




説明板。

↑へー『雪夫人絵図』はここで書かれたんですかー。/ 又1992年12月24~25日(←クリスマス!)には「竜王戦」の会場になり 谷川竜王と羽生王座の対局が行われたそうで、床の間横にその時の「封じ手」などが展示されていました。(この時は谷川さんが勝ち、タイトルを守っています。)


最後に お庭を少し歩かせてもらいました。

↓これが本館。/ 一階が麒麟 二階が大鳳。

その隣の洋館が玉姫+玉渓。




(↑玉渓の出窓を見上げています。)

初霜+春風+松風の窓辺から眺めた池。



「孔雀」側の松の根方に大きな石があります。

「根津の大石」です!


↑運ぶのに2か月かかったという20tもある巨石ですが2/3は土中、だそう_。。。/ 運んだ庭師さん 運ばれてきた石さん お疲れ様ー(?)


_ 駆け足見学だったのに 見ごたえありましたー。/ おしまい。