
(↑朝、自宅の窓から見た箱根。霧氷でしょうか内輪山の標高の高い部分は白くなっていましたよー。こりゃー寒そうだ、と防寒対策しっかりメで出発。)
小田原駅から湯本へ向かうところー

湯本から登山電車に乗ってー

終点-強羅へ。

(↑強羅駅西口)
お世話になったのは強羅温泉 国民宿舎 箱根太陽山荘。

(ケーブルカーの線路の北の道を早雲山の方へ上がっております。)

(↑強羅は日暮れが早いー)
道の右手に宿への小道が現れます。

(↑坂の上の緑のとんがり屋根の洋館は函嶺白百合学園のマリア寮。)

あ、ここだー。


ちょっと国民宿舎らしからぬ佇まい。

(建て増しに建て増しを重ねた感じ、というか)

(↑松皮菱の意匠の使われた戸口。/ 後でわかりますが この左奥が宿の浴場になるのでしたー。)
↓何といってもこの 渡廊下 がいいのよねー。


(↑時にこの道は公道なので 渡廊下の下を制服の生徒が何人も歩いてました。)
でもねえ・・・
私 ここ もっと「古びてた」と思ってたんですよ。壁など真っ白だしー 最近塗り直し したんですかね?(白状すると 取り壊し なんかになる前に!と気張って来た、んですがー)))
で、、、 入口はどこかな?

ここ、のようー。

こんにちはー。



まずはロビーで「旅割」の手続きをー。


管理人さんから館内の案内+説明を受ける。

(↑太陽荘は 昭和レトロな雰囲気が売り、ですが そこには「不便さ」もある んですねー。例えば 今では各部屋にあるのが当たり前の冷蔵庫や バストイレ洗面所はついていない、とかー。/ でもそれも味わいの内^^)


あちこちにある複雑な造りの階段も 楽しいー。



渡廊下を渡って南西の棟へ。


(↓左の階を下りると玄関です。)

渡廊下 渡り中ー。

(↓東南、ケーブルカーの線路の方を見てます。)


(↓反対側。翌朝撮ったので 東からの陽に 渡廊下の陰が写ってます。)

渡った先の 一階が入浴施設。



(こちら側にも玄関がありましたが 今は使われていないようでした)

(↑道から眺めた 松皮菱 の戸口を内側から見ています。)
その先で 「一旦外」に出てます。

(↑道の向こうが食事棟。)
(↓反対側は石垣_の上に宿泊棟。)

↓別棟に入ると_

お風呂、です。

(↑翌朝 男女入れ替え、になります)
戻ります。



(微妙な曲がりくねり加減が楽しいー)



(↓他にも スタッフオンリーの階段がありました。玄関を1FとするとB1になる階に繋がってるもようー。)

部屋はー、

北向きで、窓からは入陽の当たる外輪山の明神ヶ岳が目の前に見えました。(眼下には学校の、かな?テニスコートが。)


6時になりました。食事の時間になりました~ と館内放送が流れ 宿泊者はそれぞれの部屋から食堂へー。

この日のメニューは、

↑(左手前から)豚の甘酢あんかけ、 鮭のホイル包み焼き(茸パプリカ載せ)、漬物、湯葉刺、イカ刺、鶏挽+野菜入り茶碗蒸し、とろろ、蛸と大根の煮物。
+ごはんとカキ玉汁。

でこれが とっても おいしかった! んです。特に鮭のホイル包み焼きは バターを足してる? 隠し味は白みそ? なんて考えながら真剣に頂いちゃった。(刺身や天ぷらを 「追加」 する事もできたのですが 「お願いなくてよかった」と思ったほど 量もたっぷりでしたし。)
ついで、で 朝食。


これが又 おいしくてー 「完食」しました。(大抵は亭主に何品か上げるんですけどー)))
あ、お風呂の絵は宿のHPでご覧ください。
(浴室は モダンな岩風呂風~ のもの 昔ながらの木のお風呂~ の二種類。/是非 両方 ご堪能下さい^^。尚「日帰り」利用も可。)
<・・・>
こちらのお湯は「硫化水素臭」強め、です。朝風呂を浴びた方は上がりにシャワーを浴びる事をオススメします。(私など家に戻ってから自分がほんのりニオってるのに気づき ひそか に慌てましたー)

お世話様でした。
_この後は 駅のコインロッカーに荷物を置き、周辺を ぷらり。
<MEMO>
太陽山荘は 元々は昭和15年(1940)に新宿警察庁の保険療養所として建設されされています。そして一時はドイツ領事館の疎開事務所ともなっていた、そうなー。/へー。 (ソースは太陽山荘を修復なさった建築士さんのHPの記事。)