古奈散歩-2 湯谷(ユヤ)神社と石切り場 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

源氏山散歩の後は_
少し北の湯谷神社へ行ってみました。

(↓古奈は 源頼政の側室-菖蒲(アヤメ)御前の里と言い伝えられており、菖蒲御前の供養塔のある西琳寺付近には「あやめ」の付く場所やお店がいくつもありました。/撮り忘れてますが、この「あやめ寿し」の向かいは「あやめ湯」、歩いてる道は「あやめ小路」でしたー。)

道なりに行きます。

趣ある板塀が続きます。

その先には重厚な石垣_。


↑ウテナ創業者の別荘だったというホテル。この時は「メンテのため休館中」との事でした。

↓源氏山へ向かう道に入ります。

↓右手に「頼朝の湯 本陣」という宿が現れました。

こちら敷地内に江戸時代の石切り場跡を持つ宿で、HPには迫力ある写真が一杯!


と その先に鳥居。

ここが湯谷(ユヤ)神社ですね?


↓そばに立てられていた説明板。

左側/「湯谷神社
祭神  大己貴命(オオナムチノミコト) 
    小名比古那命(スクナヒコナノミコト)
相殿  住吉神社
(中略)
大己貴命は大國主命の別の御神名です。神仏習合の時代となってから■■大黒様として親しまれている神様です また命は温(泉)を医薬に用いる■■■始めて人々に教え(ら)れた■■して(崇)められ全国の古い温泉地■おヽむね祭神として祀(ら)れております。
小名比古那命=少彦名命■事代主命■兄神で■事に大切であった神様として後に大■御魂命■■されており昔は(二)社(権現)様■称し古奈の産(土)神とし■尊■■れて・・・」


右側/「古奈の元湯
この源泉は古来豆州古奈湯と呼ばれ伊豆の国では■■■の(走)り湯 修善寺の独鈷の湯とともに(三)名湯の一と■■特にその薬効をうたわれており、蛭(ヶ)小島流(刑)の身となった源頼朝公も入浴されたことが鎌倉時代の文書 吾妻鏡に記されております
この案内書の附近は昔の共同風呂の跡地で この下の岩盤の割れ目から温泉が湧出していたの■ 浴槽の底に格子状に工夫されたものを掃除の時 取りは(ずし)が出来る様に・・・
埋め込み底からも温泉が絶えず出てお(り)ました (こ)の湧出は大正時代の末頃まで続いていたわけです(が)各所に新源泉が掘削されたため止まってしまいました
伊豆(長)岡温泉(発祥)の温泉として記念すべき処です
追記 石造の建物は昭和初期に掘削して■■したポンプ小(屋)です 昭和■■■頃まで薬湯は出ていま・・・
火傷に(よく)きき子宝の湯とし・・・・ ました」

↑その「ポンプ小屋」跡と思しき場所にあった こちらは読めました。

「→ 古奈の元湯
この旧ポンプは伊豆長岡温泉発祥の温泉址として記念すべき処です
昭和初期は源泉を掘削して揚湯したもので(す)
昭和三十年の初め頃まで薬湯が出ていました
火傷によく効き 子宝の湯としても知られていました」 だそうです。

↓説明板に「石造の建物」とも書かれている「ポンプ小屋」跡_。

↑縁の上に「古奈の元湯」と彫られた石が載せられています。
↓横(奥か手前か)に 発動機が置かれ ベルトがポンプのホイールを回して汲み上げをしていたのでしょう。


↓「伊豆石のツル目跡/ 石表面の斜め模様は ツルハシにより人力で掘り出され削られた跡です」

↑ここは お湯も出れば すぐそばから加工しやすい石も出る~ という 色々「整った」場所だったんですねー。

ポンプ小屋址、の脇からの道の先に 石切り場。


↑「頼朝の湯 本陣」さんの敷地で 立ち入れませんが 迫力ある光景が(チラとながら)見られました。(この後 神社境内から もう ちょっと 見る事ができましたよ?)

鳥居を潜ります。

思ったより社殿は 高い所にありましたー。





↑右手に由来が記された説明板がありました。

↑「湯谷神社の由来
旧称二社権現といった湯谷神社の歴史はきわめて古くいまだ創建は詳かではないが村社加列は明治六年のことで現在 大己貴命 少彦名命が 祭られており神無月十四日は毎年祭礼が行われる。」(←ここの記述で 下の説明板の不明文字がいくつか判りました。)

手水舎。

もう一段上に上がります。


↑やっと拝殿まで来ましたよ。
↓鈴の向こうの扁額に社号。

 - ご挨拶 -

社殿の山側には_

末社になるのでしょうか、小さな祠が並んでいました。


拝殿右手前には 御神木の名残。

↓説明板。

↑なななんと 蜂の巣の撤去をしようとして・・・(後略)。。。

御神木(跡)の向こうの垣の向こうには 石切り場が見えていましたが・・・

「危険」という札が立っており、 のぞくのはここまで、に。


一段下の手水舎横からは (別の個所、になるのですが)もう少し様子を眺められました。




(↑それにしても、石の切り出しを 崖の「奥」からというのは・・・ 落盤とか起こらなかったんでしょうかね?)

下りて参ります。


これは神社 南側の石切り場跡_。





色々 見ごたえある 場所でしたー。

さて、そろそろお昼を頂く事にしましょうか。/ つづく