

一番有名なロープウェーの駅周辺は (お天気が回復しそう、と読んで)次の日にとっておくことにしてー
この日は 県営の無料駐車場に車を停め、

(↑平日だというのに駐車場はほぼ一杯、でしたねー)

そこから「川下」方向へ~。

(因みにこの駐車場脇のバス停名は「グリーンライン昇仙峡」。帰りはバスを利用するので バス停名はちゃんと覚えておきませんとね。)


(↑県道7号線(グリーンライン昇仙峡)から坂道を 遊歩道へ降りていきます)
いきなりこんなトンネルが現れ 「さすが 昇仙峡」な気持ちに。


坂を下りた先のT字路。

案内図があった。/メジャーなルートはここから右(川上川)へ歩いて滝を見てロープウェーで山へ、ですが~

↑我々は 左(川下側へ) 「長瀞橋」まで歩いて、バスにのって「P」まで戻る、つもりです。
改めて、出発。

(↑進入禁止の標識が立っています。/この道は(車には)狭いので 一方通行になっているんですね。)

右手に広い駐車場。/ 観光シーズンにはここも使われる、のかな?

↓おや、左手に県営駐車場への階段が現れた。(売店横のMAPに このショートカットコースがちゃんと描かれていた事、後で気づきましたー。/ でもま、大回りした事で 岩に穿たれたトンネルを見られたのだからよし、としましょうか。)

気を取り直して歩き始めましたがー


んー 暗い^^;)


本当はもっと鮮やかな色に見えるはず。(多分)


沢に架かる橋から_

(↑「ひなたさわはし」)
↓倒木がそのまま 橋のように~。

↓川下側はこんな風。

(↑沢はこのすぐ先で荒川に注ぎます。)
(又あった...)県営駐車場へのスロープを過ぎるとー

遊歩道脇に 荒川の流れが現れました。

おや、あれは吊り橋?

渡ってみましょう。


あ あれ?/ 思ってたより橋が 下の方 にあります・・・。

少し先に 川辺に下るスロープがありました。

こんな風になっていたのかー。

(吊り橋は「羅漢寺橋」というみたい。)

渡ってみましょう。



川上側。


川下側。

渡った先には 菩薩様(多分)が立っておいででした。

手前の石柱には「天台山羅漢寺開基八百年記念/天台山羅漢寺五百羅漢像安置六百年記念」の文字。(尚、後で知る事になりますが、こちら山号は「天台山」ですが開かれた時は「真言宗」、現在は「曹洞宗」のお寺、だそうです。)
↓石段を上がります。


お寺、と思われる建屋が見えてきました。

最後の石段手前に説明版。

「羅漢寺縁起
当寺は、開基八百余年を経ており、かつて羅漢寺山の山腹にあり、花崗岩による雄大な渓谷美のなか、北山筋の高野山と称され、往時は数多くの末寺を持つ真言宗の名刹でした。
羅漢峰と呼ばれる峰々は頂上に天狗与三郎権現を祀り原始的山岳信仰と仏教の密教的要素がまじりあった修験道の世界として有名になっていったと思われる。
羅漢寺山を三岳と号し、一の岳に阿弥陀、二の岳に釈迦、三の岳に薬師をまつる少(小)堂を建て、山全体が修行の場であったと伝えられている。
昇仙峡という神秘的な立地にある羅漢寺は、その拠点となる修験道場であり、いくつかの堂の跡は現在も残っていたが 慶安四年(一六五一)の火災で焼失し、現在の地に移ったと言われている。旧寺院跡は現在の地より北西一キロほど山間に進んだ急峻な谷間に位置し、本堂も庫裏も立派な建物であったことが跡からも推測できます。
人里隔てた深山幽僻は、中国の仙嶺天台山に似ていることから天台山羅漢寺を山号として現在に至った。
開創はつまびらかではないが、古い位牌(一二〇〇年頃)に権大納言征夷大将軍清和源頼朝入道神儀」とあり、開基としています。
「甲斐国社記・寺記」によれば、創建年代は不明ですが、開祖は天台座主有金僧都、大永年中(一五二〇年頃)に俊屋桂彦和尚が中興開山として曹洞宗に改めたとしています。
当寺は山中で田園が無い事から、武田信玄より托鉢することを許されて印鑑の頭陀枡を与えられ、人々も羅漢頭陀と称して施す者が多くあり、特別の檀徒を持たず多くの人の信仰と土地の住民に支えられて来た。
現在は、羅漢寺檀家により手厚い信仰により、羅漢寺及び五百羅漢像の保存が成されている。
当寺に安置されている五百羅漢は、日本最古の木造の羅漢像ですべて一本造りで、当初は彩色が施されており、弘法大師(七七五~八三五)の作と伝えられています。
羅漢寺の隆盛時には、三ヶ所に安置されていましたが、火災や台風の出水、老朽により、現在は百五十四体が羅漢堂に奉安されている。」 との事。

(↑説明板左上の絵図。現在地はどこ、かなあ?)
最後の石段を上った先が現在の羅漢寺。


(↑脇の石には「曹洞宗 天台山 羅漢寺」と刻まれています。)
↓そのハス向かいのお堂にー、

羅漢さん達は収められているようでした。

中を覗くと 中央に脇侍と思しき一対の立像を従えた如来坐像があり、それを囲むように沢山の羅漢さん達が~。
↓説明版。

(↑五百羅漢~なら中央の如来様は 普通はお釈迦様ですし、実際お像には「釈迦如来」と墨で書かれているそうですが 実際は「阿弥陀様」だそうです。)

(↑「五百羅漢像は、檜材などを用いた一木造りの立像で、合計一五四軆ある。
当初は、美しい彩色が施されていた。
数多い羅漢の形態は簡略化されているが、表情はそれぞれ違っている。
像底に応永三十一年(1424)の墨書があり、年代も明らかで個性豊かな群像である。」そうです。)
ありがとうございました。
元の道に戻りましょう。



少し行くと_

↑「えぼし石」という案内板が立っていました。
↓あれ、かなあ?

いや こっち?

その後もこんな感じの事が何度か^^;)





又橋があった_。


有明橋ですって。



橋からの眺め。

(↑川上側 ↓川下側)

元の道に戻って少し行くと_

「東宮登臨之䖏」と掘られた石が。

(↑大正十一年、当時の東宮(昭和天皇)がおいでになった事を記念して立てられたものだそう。)

なんでもこの辺りは「天鼓林(テンコリン)」といって 「足を踏み鳴らすと 鼓のような音が返ってくる~」不思議な場所 なんですって。

(又 手洗い所、MAPなども設置されていて 昇仙峡散策者のための休憩ポイントにもなっているようでした。)

食堂もあったみたいですね。

(この時は営業してませんでしたがー)

こんな社もありました。

中にはー

カエルさんが!

天鼓林かはず大明神、だそうです・・・。
又行くと_


「愛のかけ橋」なる橋が・・・。

親柱には「天鼓林橋」と刻まれています。多分元々はこちらの名称だったのでしょう。(こっぱずかしいから 元の名称に戻してー^^;)

_とそれはともかく、
橋からの眺め、なかなか~ でした。

(↑話それますが 欄干に描かれているのは武田の紋?)


元の道に戻り、散策を続けます。

時々小雨のパラつく遊歩道、他の散策者のかげはありません。

聞こえるのは 水の音と鳥の声だけ。

貸し切り! です。







山肌に節理が現れました。


仙境! って感じですねー。

「登竜岩」っていうそうな。

(↑「この岩は 輝石安山岩が 花崗岩の亀裂に貫入したもので 延長四粁(キロ)に及ぶ 全国でも 地質学上珍しい岩脈でこの盤状節理が竜の鱗に似ているので 登竜岩と 称せられている。」)

へー。

又行きます。


今度は「五月雨岩」ですって。

↓あれ?

↓なのか??

ヨッシーに似てる?

↑と思いましたが違いました。これは「古代人面岩」。/五月雨岩は、五月雨を思わせる縦じまの柱状節理で、現在は樹木が茂ってあまり見えない、らしい。↓
https://www.shosenkyo-kankoukyokai.com/highlights16.html
今度は「ふ石」。

んー ふぐと言われればそんな風に見えなくもー。


ここで亭主が「おっとイカン バスの時間に間に合わん 急ごう」と言い出し、

この後は 駆け足で粗い見方を~
どれかがハマグリ石。

↑右のかなー 左のかなー。
↓いや こっちかな?

↓どれかが松茸石。


どんどん行きましょう。







(↑あれ、かなあ?)


↑む む~ん
↓むしろこっちの方が?


(だんだん混乱して参りました)


おてあげです。
もう 好きに見て参りましょう。

お、あれは_


↑富士岩とかかね。(後で調べたら「富士石」でした。いい線いった 唯一のケース。)
ここは

「らくだ石」というので、

あ、あの辺かな? と思ったら

全然違うところでしたー。

この石なんて「きっとコモドドラゴンの頭部 とかだね」と思ったのだけど 名もない石でしたー。

ん?これは?

え? あ、あっち。

猿岩ですって。


んー 猿と言われれば猿かな。
おっと急ぎましょう。








名のある石達も 確認できないまま~、


本気で走ってバス停に「1分前」に着きました!

<参考までにー>
観光協会のHPの「奇岩・奇石」のページ。
https://www.shosenkyo-kankoukyokai.com/highlights.html
↓山梨交通 バスのりば「天神森」。

が、バスは「7分遅れ」でしたー^^;)
(運行状況が時刻表についているQRコードで調べられるようになっていたのです。)
という訳で バス停前の天神さんへご挨拶。

(小さなお社だけど そばにはみくじ授与機もありました。)

↓説明版。

「御岳天神社
学聖 菅原道真公を祀る
里宮天神として古くからこの地に鎮座され 創社は宝暦年間(1751~1764年)とも云われるが甲斐国史にも定かでない
入試合格 学業成就 厄除け 所願成就 の神として尊崇され毎年3月25日には大祭が行われた
近郷近在からの参詣者も多く神輿の渡御もあり盛大な祭事がおこなわれた
現在の地名「天神森」はこの天神社に由来するものである」
なるほど、バス停名も その元はこの社からだったんだー。
もうイッチョ。

荒川に架かる橋を見てみましょう。

「長潭橋 / ながとろはし」ですって。


おや、ブロンズのプレートがついています。

「土木遺産」だそうです。(↑中ほどの丸みを帯びたバラスターとか クラシカルですよねー。)

この位置からは見えませんが アーチ橋になっていて「県内最古のコンクリートアーチ橋(大正14年完成)」なんだとか。
あ、バスが来た。

「お願いします」。

申し訳なくも・・・貸し切り、でした。

「1区間」だけお世話になったのですけど、歩くとかなりの距離なので 乗れてよかったですー。/ ありがとうございました。
おしまい。
この後は宿、へ。