現在地は お城の北の 弁財天曲輪跡_。

うーん、 説明板 陽に焼けたか すっかり薄くなっております・・・。

↓写真ではわかりにくいのですが 左手の石柱には「史跡 小田原城址」と彫られています。

(↑右手奥に ちら っと天守閣が覗いています)
ここは三の丸と二の丸の間の堀の中にあった 島 のような弁天曲輪へ渡るポイントで、 今もこの道から城址公園の二の丸跡へ入れます。(菖蒲田の裏手に出ます)
昔のお堀の 「上」を西へ歩きます。

↓この建屋は 少し前まで商工会議所 として使われていました。

今も入口には「商工会議所」の文字が残っています。


時々「接種会場」などに使われていますが 今後はこの場所どうなるのかなー?
道なりに行くと 右手に「おだわら市民交流センター(UMECO)」、

左手に旭丘(アサヒガオカ)高等学校_。


道を西へ渡ります。

(↓青橋に続く 緩い坂。左手に お城の本丸へ繋がる「小田原城北入口」があります。)

↑歩道脇に旧町名標。
↓「元蔵(モトグラ)」

↑「小田原城主が稲葉氏であった江戸時代前期、小田原城外の北方に新しく米蔵が建設され、これを「新蔵」と呼んだ。そのため以前から三の丸の弁財天曲輪にあった米蔵は「元蔵」と呼んで区別したらしい。元蔵は江戸時代後期廃止され、五軒ほどの藩士屋敷に分割された。やがてその地名も「弁財天」に含まれるようになった。」_だそうです。
その向こうに「松本驛長殉難碑」

(↑昭和16年(1941)の暴風雨の折 視察中に亡くなった国鉄小田原駅の駅長松本宇一氏を功彰する碑文。菊池寛の寄稿、だそう。)
_ と その隣に「!」なシルエット。


↑いました ニコットちゃん!
↓そして(私にとって)見覚えある 鶴!

残念ながらこれらのオブジェがあるのは「関係者以外 立入禁止」の「小田原保線技術センター」の敷地内なんですがー・・・

↓塀越しに写真を撮る位は オメコボシ頂けるかな?

↓_という訳で 改めて ニコットちゃん です。

↑意外に 「鍛えた体」してます。/ それはともかく、この像は 小田原駅「旧駅舎」の入口横にあった像で 小田原では「ニコット」という愛称で呼ばれていたんですって。 新駅舎ができると2Fに置かれたそうですが その後ダイヤ街商店街のアプリビル前に移され~ アプリが営業終了すると ここに移され~ してきたのだそうです。/ やっと落ち着ける場所が見つかったようですね? お疲れ様でした。
さて私としてはニコットの隣の 魚を咥える鶴も興味深い。
この鶴の事は私も覚えております。咥えている 魚 が独特なのです。
↓見よ!

タバコを咥えているみたいでしょう? (息子は「シュノーケリング?」なんて言っておりましたよ)
↓昔のブログの記事
https://blog.goo.ne.jp/numabe3/e/4c66aa9f9874f5f99d085f37af24ab60
(↑以前は池に網がかけられてなかったんですねー)
この鶴のオブジェについて 何かご存じの方いらっしゃいましたら どうぞ教えて下さいませね。
では駅の方へ~。


(↑UMECO前)
(↓UMECOの向かいの建屋群)

少し北へ歩くとー

(↑路上に北条氏の家紋「三つ鱗」)
↓北条五代が描かれたマンホールの蓋。

更に行くとー

ミナカの前に・・・

↓旧駅舎が描かれたマンホールの蓋があります。

↑貴賓室があったという ノスタルジック かつモダンな駅舎。/ 見てみたかったなー。
因みにこれが 現在の駅、です。(正確には 駅ビル、で 駅は見えてない、んですけどね)

↓駅前のロータリー。

(↑写ってませんが ロータリーの中にバス発着所があります。)
さて、買い物して帰りましょう。/ おしまい。
<ソース>
https://www.townnews.co.jp/0607/2014/05/10/235984.html
(↑ニコットの由来は ”建立年月の「(昭和)25年10月」” からだそう~ へー)
https://www.nissho-lives.com/lifestyle/articles00-copy.html
(↑そもそもなぜ小便小僧が小田原に~? という話が最後にチラと。/ 本当かしらー?)
<おまけ>
小田原にある小便小僧の作者は柴田佳石という方の作品だそうです。
https://www.keio-up.co.jp/mita/r-shiseki/s0903_3.html#2
(↑昭和25年(1950)に制作されています)
駅の小便小僧というと東京の浜松町駅にジュリアン君もいますが、ジュリアンが設置されたのは昭和27年(1952)といいますから 「駅での勤務(?)」という点では ニコットちゃんの方が2年先輩ですね。 (ただ昭和27年に設置された小便小僧は新橋駅の嘱託歯科医-小林光氏が寄贈なさった白い陶器製だったそう。小林氏は昭和30年(1955)に、現在設置されているブロンズ製の小便小僧を 改めて寄贈されています。)
この話のソースは↓Wikiの「浜松町駅-小便小僧」。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E7%94%BA%E9%A7%85
今回も 色々「へ~っ」。