大正村-2「大正ロマン館」あたり | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

_ 大正ロマン館を目指しているところ、でございます。

坂の途中に 瀟洒な建物がー。


「日本大正村役場(旧明智町役場)」ですって。

「(前略) 明治39年、本格的洋風建築として建てられ、昭和32年9月まで、明智町役場として使用されていました。(中略) 平成12年5月に文化庁の登録有形文化財に指定されました。」

へ~。
↓横に 「開村記念」と彫られた碑。

明智村の開村、かな? と思ったらこれは・・・

日本大正村」の、開村を記念するものでした。(そしてそも明智村というものは存在した事がなかったのだったのでした)))/しかし 石の上に載っている物は何でしょう? 右横ちょにあるのは 大正村のトレードマークのカンカン帽のようですが・・・)

さてこの旧・町役場 の 現・村役場を過ぎるとー

これまたお洒落な「絵画館」がありました。

明治10年建てられたという建屋で 元「小学校」だそう。(その後 警察 商工会議所 集会所~などとして利用されてきて、現在は絵画が美術品の展示館になっているようでした。)

絵画館前を南へ行くと「大正ロマン館」の案内板がありました。

辻からすでに見えていた白い建屋がロマン館だった模様~。


ここが 大正ロマン館 ! (平成6年(1994)5月 、 開館。)↑ バラが似合いそう~。(そして実際 斜面にはバラが植えられていました。)

↑洋館なのに入口には和風の幕が。(明智の紋 桔梗が染め抜かれていますー)
↓館内はほぼ撮影OK。(一か所あった 個人のコレクションの展示スペースは撮影禁止、でしたが)

(入ってすぐの間は 初代日本大正村村長 高峰三枝子さんの衣装やお持物の展示コーナーでしたよー)


(↑ただ、髪型のせいか マネキンがどれも「マーティー・フリードマン?」な感じでしたね・・・)))

その奥はー


↑なぜ栃錦? でしたが、春日野さんは 日本大正村村議会 初代議長をおつとめになった方、 だそうでうで 「へー」。


この後は ロマン館の裏手の


旧・三宅家を・・・


・・・眺めて、
駅へ急ぎました。

(↑後から地図を見て知りましたが、この正面あたりが 陣屋跡、 右手の山の上が 明智城跡、 だったのでしたー・・・)






橋の手前に小さな祠が・・・。

中には「糸曳"き乙女地蔵」さんがいらっしゃいました。

↑近くに説明板は見つけられませんでしたが ネット情報によると ここで亡くなった女工さんを弔うためにたてられたお地蔵さんらしい、との事_。

因みに、この川は 明智川、だそうです。(明智川の本流は国道363号線に沿って流れる方、でこっちは支流だと思うのですが・・・ 明智駅前の宮前橋の親柱に「明智川」とあったので・・・)

↓お地蔵さんの近くの橋(名前 調べきれませんでした)から 川上側を見たところ。

↓川下側。


↓川の向こうの洋風の建屋はー・・・




↑「日本大正村 浪漫亭」という ショップや飲食店の入る観光施設でした。

しかし汽車の時間が迫っていたので 館内には入らずー、

(↑恵那からの列車が明智駅に入るところ。ヘッドは「寒天」!)
(↓私達が乗り込んだ 恵那行きの「花見日和」^^)

駅前のスーパーで「朴葉寿司」を買って列車に乗り込み、


車内で(こっそり)食べましたー。

岐阜の旅は こうして 渋く でも豊かに、締めくくられたのでしたー。/ めでたし めでたし。