ではかつて「下町升形(シモマチマスガタ)」があった場所から 東(お城方向)へ歩いていきます。 (尚 ここまでは「西町」、ここからは「本町(ホンマチ)」となります。)
右手に「勝川家」の建屋が現れました。
↑へー「材木や年貢米を扱う 藩内でも有数の商家」ですかー。
↓公開中というので お邪魔してみる事に。
↓入って右手に受付。
(↑小窓の上に紋と屋号。)
↓入口 左の部屋。通りに面して窓があり土間からもすぐ上がれるので 商用スペース、かな?
↓奥はプライベートエリアの様。
土間の上に万年葛籠が吊るされていました。(駕籠が吊るされているのはよく見るけど葛籠も上のデッドスペースに収納されていたんですね?)
お部屋に上がらせて頂きます。
↑↓作り付けの傘立て。
↓母屋の南の座敷。
これは季節の床飾りのようですね?
振り返って見たところ_。
↓母屋の縁側から庭越しに離れを見る。
渡り廊下で離れへ。(尚 この離れは 昭和初期の建築、だそう)
(↑渡り廊下の腰板は 隙間のあるもの二枚がスライド式になっていて、隙間部分を重ねればこのように風が通り ずらせば隙間をふさぐ事ができる、という物。)
↓離れは 南+東+北 三方から風と明かりの入る 開放的な建屋でした。
床のお軸は_
郷土の偉人「佐藤一斎」の語録からの文でしたー。
↓離れから庭越しに母屋を見るー。
↑東の縁。
↓角の板の組み合わせ方。
(↑「面取り」された欅)
↓南の縁。
手水鉢の下に 水琴窟が作られていました。
↑柄杓で水をすくい下に垂らすと 「ピン ポン ポン」と反響音がー。
その先の二階建ての別棟_ 一階にはタイルの用いられた洗面所がありました。
↓その南の部屋。
↓押し入れのある壁側に作り付けの引き出し。(ちょっと旅館の「貴重品入れ」みたい)
(↑収納スペースが階段型になっているのは_ はい 壁の向こうに階段があるから、です。)
この棟の二階は「女子(娘)の部屋」だそうです。
上がってみます。
_そこは~
↓こーんな部屋でした。
素敵ー、明るくて 解放感があって! / 何となくお屋敷の 花よ蝶よ~な「三姉妹」「四姉妹」がいた っぽい^^)。 雨戸が無いから(日本家屋には珍しい)カーテンが下げられていたんでしょうね。贅沢させてもらって 蓄音機でレコードを聴いたり~・・・(あれこれ想像ー)
↓窓からの眺め。
(↑↓敷地を囲むように建てられた蔵。)
(↑南の庭と離れ)
蔵あたりを見ましょう。/ 一度(履物を置きっぱにしている)母屋に戻り、改めて離れ横、を歩いております。
(↑離れの玄関)
↓火伏の願いのこめられた波の模様の瓦。
↓おや、蔵の手前に何か・・・。
↑「勝川勇作翁顕彰の碑」/ 勇作さんは分家で 金物屋をなさり財を成した方ですが 実子がなく、私財を全て町内子弟の育英資金として活用する事を託して大正十三年(1924年)に亡くなった~ そうです。この育英資金は 戦争で一時途絶えたそうですが その後「岩村町育英財団」に改編され、 多くの若者の学業支援を続ける事ができた~ のですって。
蔵の前を通って南の庭へ行ってみます。
三つの並んだ戸口を持つ立派な蔵~。
改めて見る 二階に「女子の部屋」があった別棟。
↑右手前は 多分風呂とトイレではないかな?と。
↓女子の部屋 を見上げています。
↓中庭から見た 離れ。
いやいや 素晴らしいお宅ですねー。
引き返します。
蔵の向こうに(来る時見落とした)井戸。
(↑あの穴はポンプの跡でしょうね?)
なんとなく 釣瓶の滑車と井戸の位置がマッチしないようなー・・・。
_とそれはともかく、滑車に桜がデザインされてますね。
何でもない道具にも「かわいい」が施されてて 「いいね」。
ありがとうございましたー。
そろそろ お昼・・・。 どこかで食事をしましょうー。/ つづく