大正村を「カケアシ観光」したのはー
実は欲張って「名古屋城も見よう!」と思ったからでした。(私名古屋には何度も行っているに 名古屋城を見た事がなくて・・・)
(↑名城線側からお堀を渡り 東門へ向かおうとしております)
ところが!!!
今は「天守閣へは入れない」んですね? (戦時中に焼失した旧天守・・・。1959年に 現在の鉄筋コンクリート製天守が「再建」されるも それも老朽化で現在の耐震基準を満たさず 2018年から入館禁止となっていたそうなー)))
ショック・・・
(↑ここまで来て、そうと知った アタクシタチ・・・ (とろい))
しかし 本丸曲輪には 「本丸御殿」が復元されており、2018年から公開されていたんですね? (と、それも知らなかったアタクシタチ・・・(お恥ずかしや))
ともかく そういう訳で 本丸御殿、_見学いたしました。
四年前に建てられた、 まだまだ新しい御殿。
↓東門に近い所に 玄関。
お寺などの場合 新しいと なんとなく「ありがたみが薄れるよう」な気持ちになりますが、 御殿の場合は 「できたての時は こんな感じだったのだな?」と肯定的に見る事ができますね。
という訳で 慶長20年(1615)に尾張藩主の住居 かつ 藩の政庁として建てられた御殿 (ただし 後には将軍専用の宿館にー) の 「新築お披露目」に伺った気分で 入館、です。
って 南向きの玄関・・・は 見学者用の入口になっていませんので 裏手へ回ります。 (見学者用入口は 玄関のすぐ東側にあるのですが、 検温などのチェックを受けるため 北に設置されているゲイトへ向かう必要があったのです)
↑↓因みに、今いるのは「上台所(カミダイドコロ)」の脇。
↑御殿の本館部分の屋根は檜皮葺(ヒワダブキ)ですが、台所の屋根は瓦葺なんですねー。明り取りの上に煙出(ケムダシ)があるから このあたりが煮炊きをする場所、なのでしょう。
東側に設けられてた入館口が 近づいて参りました。
御殿のほとんどの雨戸は 閉められていましたが、換気の為でしょう ところどころ こんな風に開いていました。
- - - シーン抜け - - -
(入館するのに 靴を下駄箱に入れたり 持ち物をロッカーに入れたりしてたもので)
この後の事は・・・
公式HPに素晴らしい動画や 立派な解説があるので どうぞそちらを観て下さいませ。↓(コチラ)
https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/guide/honmarugoten/
(↑館内をストリートビュー式で移動しながら 壁や襖等々を鑑賞する事もできます。それも 広間内に「入って」!)
_それにしても すべてが「忠実な復元」というのも すごいー。
あ、何枚か 絵 貼りますね。(館内は 撮影OK。ただしフラッシュ禁止、でした)
↓玄関近くには 狩野派の絵師達による襖絵の数々が~。(尚 これは「竹林豹虎図」)
(↑当時の日本人は シマガラの動物を虎のオス 点々の方(豹)は虎のメス だと思っていたそうでー・・・これは「虎のファミリー」^^;) 強そうなんだけど どこか「猫風」のあたたかみもあって(?) 和みましたー。
その先(表書院)は 植物と鳥 がテーマに。
御殿は各間に「格」があり 入室する侍 客人には「序列」があるー。 そんな事を思いながら鑑賞しました。
(↑奥の松、の間が 一番格上。多分お殿様は あの松をバックに座られたのでしょう。)
(↑梅 の奥は武者隠しかな?)
(↑畳の上には上がれないので 立派な松が描かれた床の間は 見学者には見えない、 のですー・・・)))
こちらは対面所。(藩主が身内や家臣と 私的に対面する場合に用いられた場所、とか)
ここまでの金箔がふんだんに使われていた玄関や書院~ に比べると 軽やか な感じですね?
その先に「鷺之廊下」。 寛永11年(1634)に 家光を迎えるための「上洛殿」が増設された折、対面所と上洛殿を結ぶため に作られた~ そうです。
(↑この「長押(ナゲシ)の上まで障壁画が描かれるのが寛永期の特徴」なんだとかー。)
_という訳で(?)上洛殿に入りました。(御殿内で最も格式の高いエリア。江戸時代には御書院 あるいは 白書院 と呼ばれていた そうです)
いやいやもうもう~。
(白状すると お庭の緑でも見て 目を休ませたかった です^^;)
↓こちらは鷺の廊下に隣接する「梅之間」。
↑上洛殿増設の折 一緒に作られた部屋で「将軍をもてなす役割に任じられた尾張上級家臣の控えの間として使われた部屋」ですってー。
ここはー
上御膳所。
お料理の温め直し などに使われたもよう。(洋の東西を問わずこの「温め直し」のための場所って お城には必ずついてますね?)
_とこんな感じで・・・
くるりと回って・・・
↓出しな_。
↑こんな 箱があったので 宝箱? かと近寄ったところ・・・
箱には「名古屋白天守閣木像復元募金」と記されていました。/ ただの募金箱までこの造りにしちゃう名古屋! 「どんだけ~」でございました^^;)
この後は_
時間 おしてたのでございますがー、亭主が 「名古屋城に来たなら これを見るべき」と申すのでー・・・
↑「開かずの御門」の別名を持つ「不明門」 を抜け~、
天守閣の裏へ。
おや これは?
「天守礎石」ですって。
↑う・うーむ。確かにこれは 大切にされるべき石 かもー。
北から見上げた天守閣_。
チラ っとシャチホコ。
しかし、
亭主が「推す」名所は ここではなく・・・
これ、でした。
「乃木倉庫」
へー。旧陸軍弾薬庫。_ といいながら (さっき見学した)本丸御殿の障壁画や天井絵類の大半が 取り外してここに保管されていた~ んですかー。(空襲で天守閣も御殿も焼けてしまいましたが 倉内にあったそれらは焼失を免れ 現在は「重要文化財」に。)
↓そして この倉庫事体も「登録有形文化財」なんですね。
↑一種 なんのへんてつもない ただの古い倉庫。なんですが (そして 写真ではお伝えしようがないのですが) どこか「おとなう人 稀」な山の中の社に似た雰囲気をもっていて 静かに「鎮まっている」んです。
本当に「ここまで来て あなたに会えて よかった」 と思える「倉庫」でした。
バルカン星スタイルの挨拶を送りましょう。「長寿と栄光を (Live Long And Prosper)」!
西の丸の正門に向かって歩きながら、 もう一度見た 天守閣。
↑名古屋城の天守閣が 今後どんな形で再建されるのか知りませんけれど(木造なのか 鉄筋なのか) ともかく 今建つこの天守とは 多分 もう会う事は無い・・・。
「さようなら」。
(↑正門/ 正確には「旧榎多門(エノキダモン)」)
おしまい。
<よだん>
本丸御殿には 実はもう一か所見学できる場所があった~ と 記事を書くのにググってて知りました。 御殿内部を見るための 東の出入り口の他、 西に建つ「湯殿書院」(←将軍専用のサウナ及びその周辺施設)への出入り口が 西南隅櫓の近くにあったのです!(見損ねましたー)↓
しかし、入口でもらった「名古屋城案内図」には 「湯殿御殿前出入口」は 載っていない・・・。
やー これでは 私達が気づけなかったのも無理ありませんよー^^;) (私達 古い案内用リーフレットを取ってしまったのかしらー?)))
_ともあれ そういう訳なので これから名古屋城へいらっしゃる方は 「湯殿書院も見学できる」事、覚えておかれませねー。