






又 池が見えてきました。


ピクニック広場を横切ります。







この赤い花は~

菊桃でした。(花の名を知らせるプレートがついていたのです^^)
さて、忘れていはいけない_
ここは「史跡公園」。
現在は松田町金子にある最明寺(西明寺とも)、があった場所、だそうです。(最明寺のHPの「沿革」の項に 「1221年(承久3年)頃、浄蓮上人源延は夢告げを受け、信州善光寺如来を一髪に至るまで違わず模写し、松田庶子山(現最明寺史跡公園)に安置しました。~」とあります)
池の端の 護摩堂跡へ行ってみます。

(周囲より 一段 高まった場所です)

屋根のつけられた石・・・。


すみません 読めません^^;)が、「松田庶子(マツダソシ)自治会」のパンフレットによると_「善光寺如来」と刻まれている、そうです。
その隣の石碑には 「最(西)明寺跡の由来」が記されていました。

同文がこちらに⇒*
_お寺が山の下に移されてからも この場所が守られてきたんですねー。/尊い事だと思います。





さて、ここには もう一つ見るべき物があります。

管理棟建屋向かい斜面の 登り窯。(復元)

上部分が壊れているのですが (焼き物を並べるために作られた)段々が見えるので あえてそのまま にしている~ そうです。


↓横にあった説明板。

東名高速の拡幅工事の際「からさわ(唐沢)」で発見された四基の奈良時代の窯跡の 一つ を移したもの~ とか。

↑蜂巣の花が象られた華やかな瓦。/ここで焼かれたと思われる瓦は 小田原の千代の奈良時代の廃寺跡から発見されているため 運搬には酒匂川を舟で と考えられる~ んだそう。 へ~。

では そろそろおいとましましょう。

続いては 洒水の滝の方へー。