徳常院の(お七ゆかりの?)延命地蔵尊 | おだわらぐらし

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

(籠清さんで「08」「09」のアートを鑑賞した後、です_)

では、「07」番のアートが展示されている「御幸の浜プール」へ行ってみましょう。

(↑普通 プールへ行く時はこの角を左(海側)へ向かうのですが、今回のイベントでは 「普段は閉じられてる 真ん中の入口が使われる~ 」と、「籠清」にいらした係員さんが教えて下さったので 一筋西の道へ向かっております。)

ここ、を入るのね? / 通った事のない道です・・・。


少し行くと龍珠山徳常院というお寺がありました。

曹洞宗 だそう。

正面が本堂でしょうか?近代的な感じ。

亭主が案内板を見ながら「大仏があるんだってー」と言う。
↓「徳常院(曹洞宗)の大仏」という案内板。

なになにー
「江戸駒込八百屋お七の恋人、吉祥寺の寺小姓吉三郎が お七の菩提をとむらう為に作った大きな地蔵尊という伝説があるので、吉三(キチザ)地蔵なる別称を持つ銅製の地蔵尊像である。
 この尊像は、もと箱根芦ノ湖の賽の河原(←元箱根港の赤い大鳥居の近く)に安置されていたもので、像背名によれば江戸増上寺塔頭にいた心誉常念が、正徳3年(1713)神田鍋町の鋳物師太田駿河守に作らせ 世の世の平穏を祈ったものであったが、明治2年(1869)の廃仏毀釈で箱根権現が従来の神仏混合形態から神社と寺が分かれることになり金剛王院(←箱根権現の別当寺) は廃止されたので、その管理の本地蔵尊は古物商に売渡された。これを東京の業者が買い、馬車でこの海岸に運び、海路輸送をしようとした処、尊体は地を離れず、浜名主等の夢枕に立ったり、また尊体に触れた人々は発熱する状況であったので見聞きした人は、お賽銭を上げ、見る間に4斗樽に一杯になったと言われる。そこで、当時の世話人や町の有志が65両で商人から尊像を買取り、当寺に安置したものである。大正12年(1923)の関東大震災の時、本尊は火災に遭ったが損傷はなく、戦時の金属回収もまぬがれた。
 なお、本像が賽の河原に安置されていた当時の写真が、昭和16年(1941)、米国の古書店で発見され新聞紙面を賑わしたことがあった。」
へ~~~っ 

_という訳でその お地蔵様を見せて頂く事に_。

↓こちらは本堂_。

あ、北側の建屋の 階段を上がった先の火灯窓を持つお堂に「延命地蔵尊」と記された扁額が。

伺って見ると 本当だ~ 大きなお地蔵様! 右足は蓮華座の上、左足は下に垂らした「半跏踏み下げ」のポーズをとってらっしゃいます。

良い物を見せて頂いた・・・。

ありがとうございました。


さて、では改めてプールを目指しましょう。

つづく