山中城跡-1 西の休憩所あたり | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

「富士見平」でお昼を食べた後は 
「国指定史跡・日本百名城 の 山中城跡」へ行ってみました。

(↑旧国道一号線脇の看板。/この看板の裏が駐車場です。)

山中城は、戦国時代末に 小田原を攻めようと三島側から旧街道を上ってきた豊臣方の6万7千もの大軍を わずか四千で迎え撃ち ・・・ 玉砕した 北条方の砦です。

(↑駐車場の端~。この右手から散策路が始まっています。)
↓MAP。(右が北)

道路で上下に分断されていますが、実は元から この造り だったそうです。(↑上の絵図でいうと_ 左下が麓側の出丸で 後から造られたもの。道路(旧国道一号線≒旧東海道)をはさんで、 山側_ 絵図でいうと右が 元からあった砦 です。)

↓説明板。


(説明の類については 三島市の資料に詳しいので 省かせて頂きますー^^;)

まずは 堀沿いの道を進んで~ 富士山が見える休憩所を目指しましょう。

あら、いきなり ・・・ 堀の向こうの斜面が崩れてますー。

_と それはおいておいて_
とりあえず ここは「三の丸堀」と呼ばれる堀、だそう。
(↓「三の丸堀」の説明板。)


道なりに進みます。


↓来し方を振り返って見たところ_。

(↑正面奥が旧・一号線。)
どんどん行くとー 

池がありました。

「田尻の池」。

(この池の西は「馬舎(ウマヤ)」と伝えられているので 馬の飲料水だったかもー だそう。 又ここからあふれた水は 今歩いてきた「三の丸堀」に流されていたようだ、 との事。)

(↑池の「あっちがわ」から 三の丸堀方向を見ています。/ 今も池の余剰の水は堀の方へ向かっているように見えますね?)

池から北へ上がると 本丸~の方に出るのですが、 西へ向かいます。



分かれ道・・・。目の前には 曲輪が二つ・・・。

↑ちょっとここには 現在地を示す案内板がほしかったなー。/ 先に 右の曲輪「西の丸」に上がってから 左の曲輪「西櫓(ニシヤグラ)」に行けば 無駄がなかったのですが われわれ 先に左に行ってしまった、デス。

↓とりあえず 歩いた順番に絵を貼りますー。


おおー 障子堀がくっきり!

障子が二段になってますー。

(↑今いるのは 西櫓と西の丸 の間の堀 です)
↓西櫓の方へ。

振り返って見たところ_。

↓この 尾根道のような分かれ道を上がれば 西櫓。

・・・だったのですが ここも通り過ぎて展望所の方へ行きました。

ここの障子堀も綺麗だったなあー。

堀を回っていくと 愛鷹山(アシタカヤマ) そして富士山がー・・・


ああー 見えません^^;)

(本当に 私達ってば 富士山との遭遇率 低いんですよー)))

空堀の縁の 木の下にベンチ_

その先に休憩所がありました。





休憩所あたりからは 西櫓と 西の丸のあいらの障子堀がよく見えました。



↑西櫓へ上がる架橋があったと考えられる場所。
↓説明板。

ほぅなるほどー。

が・・・
気づいたんです 「こっちからは 西櫓へも 西の丸へも 上がれないじゃん!」と。

休憩所から下へ下れば すぐ二の丸の麓に出られたのですが~

引き返して「西櫓」「西の丸」と見る事にしましたー。 / つづく