四之宮・前鳥(サキトリ)神社に続いては 相模川を挟んで対岸にある 一之宮、 寒川神社へお参りしました。
↑さすが一之宮、参道も立派。 / 因みにこの鳥居は「二の鳥居」。
↓一の鳥居は500m程南。(ストリートビューで撮りました)
(↑手前の線路はJR相模線。600m程右(南東)に「寒川駅」があります。がお参りには一駅下り方向にある「宮山駅」の方が便利。)
時に 一の鳥居から300m程北にある寒川病院は 「宗教法人寒川神社 寒川病院」で「神社の病院」なんですってー。
(色々「へー」)
↓第一駐車場に車を置いて 改めて参道へ。
(↑↑↓↓三の鳥居)
橋を渡った先に 御由緒書。
御祭神_
「寒川比古命・寒川比女命 二柱の神を奉称して寒川大明神と申します。」
由緒_
「抄/ 総国風土記(近世初頭に編纂された 古・風土記を模して編纂された書といわれる)によると、
雄略天皇の御代に奉幣の記録があり 神亀四年(727)に社殿建立と伝わる古社で
延喜式には「相模国十三社の内 名神大社」と載るそう。(Wikiには「相模国唯一の国幣大社」とも)
明治時代には「国幣中社」となり、戦後は神社本庁による包括神社(別表神社)に。
現在は「八方除(ハッポウヨケ)」で全国の崇敬者から多くの参拝を頂いております。」 だそう。
境内図。
(↑14番、社殿西の「馬場」は 9月の例祭前日 「流鏑馬(ヤブサメ)神事が」行われる事で有名)
ゆるり と曲がった参道を進みます。
左手(西)に末社「宮山神社」。
素朴で凜とした佇まい。
由来等_。
(宮山地区のあちこちに祀られていた神様達を合祀~ した そうですから明治の「一村一社制」でまとめられた神社、かしら?)
参道に戻ります。
手水舎。
寒川神社の手水舎も 柄杓が引き上げられ 小さな樋からの流水で手を清めるスタイルになっていました。
(あら こちらの神紋も さっき伺った「四之宮」と同様 三つ巴だー。 三つ巴は よくある神紋ですが 対になっている二柱の祭神を持つ神社の紋、としては珍しいような?)
神門。
その先に拝殿。
普通ならこのまま進む、ところですが_
今回はご祈祷を受けますので 客殿へ。
一階で受付を済ませると 二階の控え室で待つよう 告げられます。
(後で知った事ですが、寒川神社は「日本で最も昇殿祈祷者が多い神社」だそうです。)
控え室では 神事の映像等を見ながら 他の参詣者と待ちー
案内に従って 拝殿内へ移動。(ここよりは 画像なし)
そして 厳かな祈祷を受けました。
縁起物等を頂き、
拝殿前に出たところ_。
改めて社殿を拝見。
殿参拝者」のための祝詞があげられているのでしょう。
拝殿横には龍が乗り支える「方位盤」と「渾天儀(コンテンギ_星の運行を観測する機械)」が置かれていました。
説明板。
御祭神の御神徳「八方除」 を、人生の羅針盤として示すオブジェ なんですね?
神門から退出します。
さて参拝の後はー
神殿裏手のお庭「神嶽山神苑(カンタケヤマシンエン)へ。
(↑昇殿参拝すると頂ける入苑券。)
続きます。
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さて、神奈川県高座郡(コウザグン)には 現在はこの寒川神社のある寒川町(サムカワマチ)しかありません。が もともとは 綾瀬市 海老名市 相模原市 座間市 茅ヶ崎市 藤沢市 大和市、と 県中央部の多くの市を含む大きな郡だったそう。(因みに郡役所は藤沢市に置かれていたんですって。)/ 神奈川県で育てば「郷土史」の時間に習う事でしょうが よそものの私は「知らなかったー」でした。/ これは_覚えませんと。