「伊豆の国 山の南にいづる湯の
はやきは神の験(シルシ)なりけり」
と詠んだ~ そして「伊豆山神社(伊豆権現)」の興り(走り湯は神威の験) 「伊豆」の地名の始まり(湯出づ) _走り湯、へ。

神社の下の道を奥へ進みます。

↓崖側に「走り湯源泉」の看板と 説明板。

順に見ていきましょう。/ 「日本三大古泉「走り湯」ご見学のお客様にお願い。

(↑「走り湯洞窟は、走り湯源泉所有者(走り湯温泉組合)により洞窟に温泉送湯しております。温泉湧出口には 温度70℃ 毎分100リットル以上の温泉が常時流れています。洞窟内は天井も低く狭い構造となっています 高温多湿で視界も悪く滑りやすいので事故の無いように十分ご注意いただき自己責任にて安全にご見学されますようお願いいたします。 (後略)」)
↓「走り湯起源」

(↑大島に流されていた役行者がこの温泉を見つて以降 この地には修験者が集まるようになっていった~ という話。)
↓「走り湯と 宇佐美-多賀火山群」

(地学からのアプローチ。/ 海底火山の集まりが フィリピン海プレートに乗ってだんだん北上し 本州にぶつかって伊豆半島ができたんだとさ~)
↓突当りの左手_ 湯気が出ています。

ここが 日本唯一の 横穴式源泉 「史跡 走湯温泉跡」です。かつてはここから 湯が「走るように」噴出していたといいます。が それは「神威の験(シルシ)」であり信仰の対象だったのでしょう 周囲には宗教施設が建ち 一般人は近寄れなかったそうです。又 ここからのお湯が温泉として利用されるようになったのは鎌倉時代の終わり~ 更に 一般人が利用できるようになったのは江戸に入ってから~ とか。

↓トンネル横の説明板。

↑「この温泉は 奈良時代の養老年間に発見された全国唯一の横穴式源泉である。往時は一日約七千石(一分間に約900リットル)の温泉が湯滝となり、奔流となって海岸に流れたといわれている。」(別の板では 役行者が大島に配流になった699年が温泉発見年になっていましたが 「~それが大和の朝廷に報告されたのは養老年間(717~724年)なのかしら?)
「古くから霊湯とされ、火山や温泉湧出に対する自然信仰から生まれた伊豆山神社と深いかかわりをもち、「走り湯権現」とよばれていた。いずれも日金山(ヒガネヤマ=十国峠)を背景に、山伏の修験の地として発展した。」
「源頼朝は、治承四年(1180年)八月の旗挙げ前から、伊豆山権現を信奉していた。平家滅亡後まもなく 「二所詣(ニショモウデ)」と言って、伊豆山権現、箱根権現を参詣した。のち三島明神も加えられて、政子や実朝もこれを行った。
明治の初め、皇室の御料温泉となり、伊豆山温泉発祥の源泉として、観光開発に貢献した。しかし昭和三十九年源泉の多掘の影響をうけて枯渇したが、昭和四十五年の増掘によって復活した。」
「三代将軍源実朝は、二所詣の折、ここで次の三首の歌を詠んだと金槐和歌集に載っている。
わたつうみのなかにむかひていづる湯の
いづのお山をむべもいひけり
はしるゆの神とはむべぞいひけらし
はやきしるしのあればなりけり
伊豆の国山の南にいるづ湯の
はやきは神のしるしなりけり
昭和六十一年三月
伊豆山走り湯温泉組合
熱海市教育委員会」
説明板にもある通り この源泉は昭和39年 多掘の影響をうけ枯渇~ したそうですが、 観光用に他から引いた温泉を噴出させている~ ようです。(途中で見た 走り湯温泉組合 の説明板に「洞窟に温泉送湯しております」とありましたし 以前来た時そう説明を受けました。)

さて トンネルの中はー
湯気がもうもうとしていて すぐレンズが曇ってしまいます。(以下は亭主が 出たり入ったりしながら撮ったものでございます^^;)




トンネルの奥の湧き出し口。転落防止に金網が張られています。

(江戸の頃 ここからのお湯は どのように入浴施設に引かれていたのかな? 崖側に掘っ立て小屋のような湯屋が並んでいた~ とか かしら?)
そうそう、以前来た時は_
走り湯のすぐ前に建つ「うみのホテル 中田屋」さん(←伊能忠敬測量隊御一行宿泊の宿)で「走り湯 史料館」を観る事ができたのですが・・・
残念 閉館 されてましたー。(見たかったなあー。/ コロナで一時的にお休みなさってるだけならよいけれど・・・)
どれ 折角です、足湯を使わせてもらいましょう。

利用時間が決められている。時間過ぎるとお湯が停まる のかな?

眺め よし。

でも 熱い^^;)

水を足しても すぐには適温にはなりません。(私は あきらめましたー。)

(↑亭主の足です)
↓わかりにくいのだけど 目の前に初島(因みに火山)が見えます。/ 日金山の杉から生まれた子供達を育てたのは 初島の女神 初木姫でしたねー_ と 伊豆山神社で知った伝承物語を反芻。

足湯を出て 海側、に立つと_
↓「伊豆山温泉 / 走り湯」という立派な看板が目に入りました。

(↑ここ、が 伊豆山神社参道的には 石段の「0段目」ですかね?)
↓色々詳しい説明が~。(新しく作られた物でしょうか 図などもとても正確ー)



逢初坂(アイゾメザカ)。(逢初橋~に因んでの命名でしょうか? ともあれ上の国道までの 石段を含めた坂の呼称のよう。)

↓改めて見上げた 足湯。

あら その下に役行者さんが。

走り湯の発見者 といわれる役行者の坐像がここにあるのは自然ですが 古色を帯びており 新しい施設の横にある事に違和感が。

_と思ったら この坐像は元々海辺の祠にあったもの、なのだそう。が 熱海ビーチラインが開通し(1965年)坐像は 一旦は近くのホテルが預かり_2017年にここに移された~ のですって。/ (へー)
では戻りましょう。/ まずは上の国道を目指します。/ 来た道を引き返し ハナアオイの咲いていた分かれ道に出たところ。↓

↑走り湯へ下りた坂~ の 今度は反対へ。↓

(↑左の小径を行くと 逢初橋の下の渓流に下りられる~ らしかったのだけど そうすると地蔵堂が見られないので_ 今回は右へ。)
↓坂を上がると 左手に逢初地蔵堂が現れます。

政子が娘・大姫の延命祈願のため 1184年に建立 と伝わる地蔵堂です。

お堂の前にも古い石仏達が。

この坂を上がった所には_

赤い欄干の逢初橋(アイゾメバシ)があります。(走っているのは国道135号線)

で 実は私、ここが本当の逢初橋だと思ってたんですがー・・・

調べてみると 頼朝+政子に縁(ユカリ)の逢初橋は この ずーーー っと川上の 走湯山般若院(伊豆権現の別当坊)横の石橋、でしたー。/ 覚えましょう^^;)

橋から下を覗いたところ。(下を流れている逢初川は木立に隠れて見えませんが 涼やかな水音はよく聞こえます。)

↓渡り終え 振り返った逢初橋。

水葉亭前を通りー

熱海駅へー。

(バスターミナル前)


思えば 神社から水分補給もせず 歩きっぱなしだー。 休憩しましょう!