下田散策-1:下田駅~了仙寺 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

コロナが落ち着いたらUPしようー  と思ってきた去年「下田→伊豆高原」を旅した折の写真・・・。 年が明けてもコロナの収束は、まだまだどころか 感染拡大がとまらないー。

という訳で なんだか「不謹慎」なのですがー
このまま「お蔵入り」にするのももったないので こっそり(?) ちょっとずつ 、 冬の旅の思い出 貼っていこうと思います。



まずは下田からー。

(↑下田は 伊豆急の終点、です。)

(↑改札の上に「暖簾」が掛かっていて 面白く思いました。)

(↑改札は「黒船」のデザイン~。下田はペリー艦隊上陸の地、なんですねー)

↓駅の表玄関。

駅の隣はー

ナマコ壁の 時計塔を持つ擬洋館「普論洞(フロント)」。(下田駅開業とともにオープンした歴史あるお店、だそう。)




ロータリーの中の「島」にはー

温泉が湧いていたー。

(↑したたっているのは あつあつのお湯でしたよ~)
↓しかし駅側の足湯のお湯は抜かれていたー。。。


さて、駅の向かいに どどん と聳える山(寝姿山)には ロープウェーで上る事ができます。

_が、それは翌日のお楽しみとする事にして 街歩きへ~。


下田は昭和レトロな雰囲気の街~。

又、江戸時代のナマコ壁の建屋も沢山残っています。(ナマコ壁は 普通は土蔵に用いられる工法ですが 伊豆では住居にも丈夫で美しい「ナマコ~」が好んで使われたようです。)






 (きりがないので 中略)

(↑街の景観にマッチするよう アパートにもナマコ壁を模した意匠が~)
えー 本当は 着くなり「ごろさや」さんでお昼に金目の煮つけを頂いた、んですがー


_ それは 別項に上げる事にしてー

(絵としては)散策を続けます。

御馳走様の後は 了仙寺(←下田条約が結ばれた場所)の方へ向かって てくてく。。。






突当りの川(平滑川)を渡って 右手へ進みましょう。

(因みに 海からここまでの道は 今「ペリーロード」と呼ばれているそうです。)
↓道脇の石には「南妙法蓮華経」と刻まれています。この先のお寺_了仙寺は日蓮宗のお寺なんですね?


山際の参道を進むと門がありました。

右手には「MoBS/黒船ミュージアム」という新しい施設が。

(亭主が「ここは 明日来てみよう」というので 「へーい」と思っていたのですが、 翌日来たら閉まってました・・・ / とそれはさておき_)

お寺へ伺ってみましょう。

門の横には「日米條約締結之地」と刻まれて石が立てられていました。

↓門の扁額には「法順山」の文字。(こちらの山号ですね?)


本堂。

↓蘇鉄が 南国っぽい。

↓あら、唐獅子牡丹の飾り瓦。棟瓦と軒丸には市松にも見える十字。はてこれは?


(↑だんだん 関係ないのに垂木も市松に見えて来る~^^;)
↓_瓦の模様は わからず終い。因みに瓦には寺紋が使われる事も多いのですが 了仙寺さんの紋は将軍家の「三つ葉葵」だそうでー・・・。

↓入り口の上の扁額の文字は「開国殿」。

↓あ、この絵 教科書に載ってましたよねー?

そうかー この絵は ここ、だったんだー。(正面のお堂が了仙寺の本堂。尚、右手の庫裡は焼失し 今は別建屋になっている、との事。)
へーっ。

改めて読む 案内板。


ちょっと オマケ。

了仙寺の裏手には_

「了仙寺横穴遺跡」なる場所がありました。

が、、、 これは トンネル? (鎌倉の洞門に似てる・・・)

あ、いや こっち、ですね。(↑竹は 観光客が隣の敷地へ出ないよう塀として設けられていたもの、のようです)))

_墳時代の有力者の墳墓、との事です。/ 穴の近くには 角材を差し入れた痕 と見える方形の窪みがいくつもありました。元は入口はむきだしではなく 扉か何かついていた、のかなあー?

ありがとうございました。

では ペリーの艦隊が停泊していたという海を 見に行きましょう。


つづくー

<おまけ>
中程の 壁に『アケゴコロ』と書かれているお店「土藤(ツチトウ)商店」ではー


飴を買いました。
↓尾道の保命酒のハードタイプの飴「保命玉(ホメダマ)」と

↓清酒黎明の酒粕で作った 甘酒のような味のソフトタイプの飴「黎明あめ」。(左端の籠の中にあるのが それ)

どっちもおいしい!