長寿禅寺(臨済宗) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

建長寺門前でけんちん汁を頂いた後はー

横浜鎌倉線(県道21号線)を北鎌倉駅方向へ歩きました。

(↑建長寺の天下門を振り返って見たところ_ って撮ってなかったのでストリートビューでもらいました。)
っと 左手に急な階段が!

「第六天社」ですって。

三つ巴紋のついたゲイトの向こうには_

「キケン かいだんは すべります」という立札。/ 他のルートもあるんでしょうかね?

(↑左手に安”部”晴明大神と刻まれた石。陰陽師と第六天(他化自在天 魔王ともいわれています)、どんな関係があるのかな?)
↓という訳で 上がれませんでしたが ここは建長寺の四方鎮守の一つ、とわかりました。

(第六天は 南方の鎮守として置かれた、そうですが現在のお堂は 地図で見ると 建長寺のほぼ西。事情あって移された~ とかかしら? 又 以前は堂内に第六天像と四天王像が安置されていたようですが 残念な事に「盗難」にあったそうな・・・。)

少し行くと左手に亀ヶ谷坂(カメガヤツサカ)への上り口が現れました。



坂を越えて鎌倉駅の方へ戻る前に_

坂のすぐ脇に建つ 長寿寺へ寄りましょう。/ 「足利尊氏公ゆかりの寺」ですって。

茅葺屋根の門。


説明板。/ 「足利尊氏が邸跡に建武三年(1336年)創建し諸山第一位の列に定めました。尊氏没後、父の菩提を弔うため鎌倉公方(クボウ)足利基氏(モトウジ)によって七堂伽藍を備えた堂宇が建立されました。尊氏の法名を 京都では等持院殿、関東においては長寿寺殿と称します。
開山は古先印元(コセンインゲン)禅師。正西本堂に足利尊氏坐像と古先印元禅師坐像が祀られています。
右奥の観音堂は奈良の古刹忍辱山(ニンニクセン)円成寺(エンジョウジ)の多宝塔を大正時代に移築、改造したものです。境内奥に尊氏の遺髪を埋葬したお墓があります。」 ですって。

↓リーフレット

↓右手の亀趺が背に乗せている塔に 投函口のような物が見えます。気になるー。(お寺のポスト なんて事は・・・)))

↓左手の錫杖を持つ石仏はお地蔵様かな?


門を潜って境内へ。

正面の本堂には お釈迦様がいらっしゃいました。

御玄関から内へ。

御本尊へご挨拶_の後 本堂から見た 門。

西に萱葺屋根の観音堂が見えます。


書院棟から小方丈へ。


白砂と苔のコントラストが鮮やかで どこか「非現実的」。






なんだかVRで「超リアルな”映像”を観ている」ような不思議な気分になりましたよー。

館内、も素敵でした。








室内から見た 庭の観音堂_。


では お庭へ出てみましょう。


観音堂へ向かう途中ー

門の跡 と思しきスポットを渡りました。

(どんな門が? はやり萱葺屋根が載っていた のかなー?)
門の先_



堂内の観音様に合掌。

西の山には尊氏の遺髪を納めた墓があるとの事で上がってみましたがー



「崖崩れの為 工事中」となっていました。

(リーフレットに載る写真と見比べると 現在 奥に残っている台の上の二つの石の間に二つ、別の石があったようです。又一番上の屋根型の石の上には「塔」がついていた模様・・・/おいたわしや)


木立の向こうに観音堂を見る。


竹林の側を通ってー


南へ抜けます。



写真ではとてもお伝えできないけれど 「絵の中を歩いている」ような感覚でした。

(↑振り返ってみた竹林)

南の庭に入ります。






庭から見た小方丈(左手前)と書院(正面)。



↓来し方を振り返る。


ありがとうございました。

帰りは、一度本堂脇を北へ抜けてー



直接 亀ヶ谷坂へ出る通用門から出ました。


ありがとうございました。
よいお寺でしたー。

さてこの後は坂を上り、鎌倉駅の方へむかいました。

北を向いたところ_

南を向いたところ_。


つづく