今小路を歩く | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

鎌倉一泊旅行、 二日目_。

まず江ノ電長谷駅から~

鎌倉行に乗りました。

終点鎌倉駅。

線路の車止めの上にいたのは・・・

蛙の親子だった。(さあこい ご当地クイズ! ?)

「無事かえる」の祈りがこめられているもの、かと。


荷物を鎌倉駅西口のコインロッカーに預け

散策に出発しました。

(↑マンホールにも描かれている「鎌倉駅旧駅舎時計台」 こんな所に こんな形で残されていたのねー。)

まず今小路を北へ。 寿福寺を目指したのですがー・・・

巽(タツミ)神社でー・・・



写真を撮ってたら 一人の男の子が亭主に話しかけてきました。
「ねえねえ、 ナニナニ保育園 知ってますか? ここから あーいってこーいった 所にあるんですけどー。(中略) 是非行ってみて下さいっ」

亭主、たじたじ。。。
(保育園の広報部長のような坊やでした^^;)
とそれはともかく_
↓御由緒書。(かすれて読めないので ネットで情報をもらいました)

御祭神は奥津日子神 奥津日女神 火産霊神(ホムスビノカミ)
801年に坂上田村麻呂が葛原ヶ岡に勧請したのが始まり。1049年には源頼義(←甘縄神社の説明板でお見受けした名前)が社殿を改修している。1200年 北条政子が寿福寺を建て 神社は寿福寺の鎮守社して境内に移される。が後に現在地(寿福寺の巽)へ。江戸時代には浄光明寺のものになるが 明治の「神仏分離令」により独立し 今日に至る。 / へえーっ。

更に北へ進むとー、

八坂神社、がありました。




屋根瓦には相馬の九曜の紋。


説明板。

「八坂大神 相馬天王 / 祭神 素戔雄命 桓武天皇 葛原親王(カズラワラシンノウ)高望王(タカモチオウ)。 / 建久三年(1192←鎌倉開府の年)相馬次郎師常(ソウマジロウモロツネ)が邸内の守護神として京都の八坂神社から勧請。御神輿は宗社の形にならう六角形、、、」とか。 (+ 銭洗弁天はこの神社の末社だったそう。)

参道脇の建屋に 周辺MAPがありました。


(あ、ここ 消防団 第三分団の施設だったんですね?)

さて、八坂神社の北が寿福寺、です。

伺ってみましょうー。/ つづく