稲村ヶ崎(♪剣投ぜし古戦場) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

夕日を見に 稲村ケ崎へ向かっております。(海辺の宿にチェックイン後_)

観光客の皆さん、かな。結構な人数が ぞろぞろと・・・。

人気のスポット、なんだー。

切通しが現れた。(当然ですが 鎌倉時代には無かったもの、です。)

岩場へ下りる階段がありましたが 閉じられていました・・・。(残念)



♪ 七里ヶ浜の磯づたい 稲村ヶ崎 名将の 剣投ぜし古戦場~。

1333年(←イチミサンザンって覚えましたっけね)新田義貞が金の剣を海に捧げて神様に祈ると 潮がひき、現れた道を通って新田義貞達は鎌倉を攻めた~ っていうけど 本当かなあー?

「道路開鑿(カイサク)記念之碑」 / この切通しができたのは 昭和13年の事なんですねー。(そんなに新しい道だったとは)

坂を七里ガ浜の方へ下ります。


左手に階段が現れた。

上がった先の公園からは傾いた夕日と 江之島がばばん と見えましたよ。

江之島。にょき っと突き出しているのは展望灯台 シーキャンドル。

あ、誰か手を挙げてるー と思ったらブロンズ像だった。

夕日に向かって手を振る人は 朗らかな顔をしていようか?

近づいて知りましたが これは逗子開成中学の生徒12人が亡くなったボート転覆事故(1910年)の慰霊の像だったのです・・・。

台座には鎮魂の歌「真白き富士の根」の歌詞が。

♪真白き富士の嶺、緑の江の島~
亭主が「知らんなあ」と言うので 歌ってあげました。(あ、メロディーは聞いた事あったわ と言っておりました。)

夕日が箱根の山にかかります。(写真ではわかりませんが 二子山より左の方・・・ 「十国峠あたりかねえ」なんて言いながら陽の落ちるのを眺めました。)

下の波打ち際にも 夕日を観る人達が。


にしてもこの磯は 歩くのが困難ですよ?/改めて「新田義貞は本当にここを通ったの?」って思わされました^^;) (調べたらやっぱり異説があるようですねー?)


陽が沈むと 観客(?)は三々五々 引き上げていきました。

国道近くに石碑があった。


↑「史跡 稲村ケ崎 新田義貞徒渉伝説地」

又切通しを通って長谷の方へ戻ります。

空には「十三夜」の月がかかっていました。

宿。の手前はビーナスカフェ。(灯りが灯りお洒落な雰囲気でしたねー)


で、この後 ホテルで晩御飯を食べた、のでございました。/ おしまい。