田尻(タジリ)を歩く-5:嘉祥(カショウ)神社 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

田尻散策の上がりに訪ねたのは嘉祥(カショウ)神社です。

あ、この塀の向こうかな?

向かいにお寺があります。もしかしたら あれ が嘉祥寺? / なぜなら ここの地名は「嘉祥寺」なんです。 勝手に「明治に入ってからお寺と神社が分けられた。 地名は昔通りの嘉祥寺を使ってる、とか」って思いましたが 全然違いました。(その話は後で_)


改めまして_
嘉祥神社です。

鳥居の扁額、ちょっと面白い形。

狛犬さんたち。


手水舎。

あ、き厳しい_ハンドルが無い・・・。


本殿前に 鳥居が二つ並んでいました。/
町のHPによると 祭神は保食神(ウケモチノカミ≒稲荷神/ 又江戸時代にはこの神社は「稲荷大明神」と呼ばれていたといいます。(つまり社号の嘉祥~は地名の嘉祥寺から?) 尚Wikiによると 明治41年に 海上神社、海南神社 を合祀した_といいますから・・・

手前の平入の屋根の拝所の先が末社の二祠で_


奥の妻入りの拝所の先の社が本殿、でしょうかね?


(↓瓦の紋は「蔦」)

あ、やはりここが主祭神を祀る本殿。 
↓脇プレートによると「本殿は昭和51年3月に 大阪府指定有形文化財にしていされました。 安土桃山時代の建築です。」だそうです。


銅で葺いた屋根の先の紋は・・・ 桐のようにも見えるけど 手前の瓦と同じで蔦かな?(もっとはっきり見える写真撮れば良かったなー)


さて、退出しようとして 玉垣に近くに木の柵があり その中に祠があるのに気づきました。どんな神様が祀られているのでしょう?

屋根には「ミツウロコ紋?」のような窪みが見えましたが 破風 の意匠かもー。(三鱗紋を持つ神社は関西には少ないそうなので 紋説はナイ かな)

さてその横に 首に継いだ痕のある石仏が一体_。

神仏混淆時代の名残りなのでしょうか?(ちょっと気になりました。)

_ ともあれ、 ありがとうございました。(拝)


で、さて 向かいのお寺は_

「光明山 真光寺」という浄土真宗のお寺でした。

申し訳なくも「あれ? 嘉祥寺 じゃないの?」と思ってしまいましたよ。

上でも打ちましたが、ここの地名は「田尻町嘉祥寺」なんです。そこに嘉祥神社のみあって 嘉祥寺が無いなんて・・・。


帰って調べてみたら_(Wikiに地名:嘉祥寺 の一項目があったのですよ)
嘉祥寺の地名の由来は 不明 だそうです。
(嘉祥寺という寺があった という説と、京都の深草の嘉祥寺の寺領であったという説、があるらしい・・・。尚 京都の嘉祥寺の寺号の由来は元号の嘉祥、ですって。)

さて、私達はこの後 泉佐野へ移動しました。

(↑吉見ノ里駅)

夜は泉佐野のお店で ワタリガニを食べますよ! / つづく