(↑府道14号線の側道を 西の庄町交差点付近から 吹田市役所の方へ歩いてます)
行ってみてからわかったのですが、泉殿宮には駐車場があったのでしたー・・・。
(近くのコインパーキングに停めちゃったよー)
そして、
府道側から入ると 神殿の裏に出る、とわかりました。/本来の参拝ルートとは逆、という事ですね・・・。
でも・・・仕方ないので そのままお参りしました。
↓渡り廊下の下を潜ると_
左手に社務所がありました。
建屋づたいに回ると 神職さんのお館_。
振り返ると 拝殿。
正面から。
改めまして、 泉殿宮さんです。/御祭神は 元々は 次田連(スキタノムラジ)の祖神・天香山命 と 秦氏の祖神・宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ=お稲荷さん)のみを祀っていた、そうです。が 現在は宇迦之御魂大神と、建速須佐之男大神(タケハヤスサノオノオオカミ)、春日大神(四柱)、住吉大神(三柱)、が御祭神とされています。
スサノオが勧請されたのは平安中期 (貞観(ジョウガン)11年(869))。 姫路から京都の祇園観慶寺感神院(≒現・八坂神社)に迎えられる途中の牛頭天王(ゴヅテンノウ≒スサノオ)の神輿がこの地に立ち寄られた際、祝詞をあげ 獅子頭を振って 干ばつの苦しさを訴えたところ 土中から清水が湧いた~ そうです。 こうして、ここには牛頭天王が祀られるようになり 社は「泉殿宮」と呼ばれるようになり 雨乞いの様子を再現する祭が 現在の「泉殿宮神楽獅子」となった~ のですって。
(↑吹田の市立博物館にあった泉殿宮神楽獅子の人形。/因みにこれは「二階獅子」という曲芸級の技。)
*(東に700m程の位置にある 高浜神社、の「牛頭天王 勧請の話」と 似ている部分 微妙に違う部分があるようですねー?
↓拝殿入口脇に下げられた提灯には 木瓜(モッコウ/牛頭天王の紋)と三つ巴(住吉さんの紋)が描かれていました。
破風には 上に木瓜、脇に三つ巴。
↓賽銭箱には並べて。
狛犬
(↑脚に巻かれた紐は 足留めの願掛け かなあ?)
境内の摂社末社も拝見。
↓提灯が下がる建屋はー
「吹田戎(エビス)神社」。/西宮戎神社を勧請したものとか。
面白い事に地車(ダンジリ)に乗った神社で、「地車戎(ダンジリエビス)」と呼ばれているそうなー。
地車戎の隣には 地車(ダンジリ)の収納庫。
左/川面町(カワヅラチョウ)地車。
右/浜の堂地車。
その隣には、大国主命・神産巣日大神・奇稲田姫神が祀られていました。
北の鳥居脇には稲荷社。(実際は最初に拝見してますー)
社務所の東には倉のような建屋がありました。
扉には神紋。/ 御神輿と布団太鼓が収納されているらしいー。
本殿の東の鳥居。/ 本来はこちらからお参りするべきでしたー。。。
鳥居に近づいてみると 千木や勝男木 屋根の装飾 が展示されていました。/以前の社殿の屋根にのっていた物のようですね?
その隣に 近づくと水が出る センサーつき手水舎。(又やってしまったー 参拝後の手洗い・・・)))
参道に出てから振り返って見た 神社。
↑お参りする若い女の子達。(ちゃんと鳥居前で礼をしてて 感心させられました。)
_と こんなのが泉殿宮、でした。
<残念!>
さっき神社の公式HP見て知りましたが、 本殿横に「史跡 泉殿霊泉」という場所があったんですって。これこそが社名の由来となった泉というのに・・・ 見損ねちゃった><;)
<+>
今は枯れている泉殿霊泉ですが、昭和30年代までは現役の泉だったそう。水質も素晴らしく 明治22年にこの水をミュンヘンに送って調べてもらったところ「ビール醸造に適水」という結果が出たそう。で、神社の隣に 東洋初のビール工場(現・アサヒビール吹田工場)が建てられた のですって。
色々あれこれ「へ~っ!」でございました。