(千里山の噴水を見た後行った)
吹田の垂水神社で撮った写真を貼ります。(吹田市立博物館で 八十嶋祭に関わったかもしれない神社として紹介されていて興味を持ちまして)

↑参拝者用駐車場に車を置かせてもらってー
↓社殿の方へと思ったら、

↓南に参道がのびてた。

行ってみると鳥居がありました。(できるだけお参りは鳥居から、ですよね)

扁額「式内大社・垂水神社」。

改めて社殿へ向かいます。

道を渡って境内地へ。

左手に由緒書。

(抄)「当社は延喜式式内大社にして 第十代崇神天皇の第一皇子にあたる豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト)を主祭神として、 相殿神に大己貴命(オオナムチノミコト)・少彦名命(スクナヒコナノミコト)を祀る社である。/ 孝徳天皇の御代(7c中頃) 干ばつがあった。豊城入彦命の数世の孫(Wikiには6世孫)阿利真公(アリマノキミ)が、高樋を作り 垂水基岡(=千里山)の水を 長柄豊碕宮(ナガラノトヨサキノミヤ=前期難波宮←上町台地にある!)に通し御膳に供すると、天皇はその功を賞し「垂水公」の姓を与え この神社を掌らせた(=造り管理させた)。
これによりこの地方を垂水と呼ぶようになる。
山頂には弥生式住居跡が数基ある。垂水氏はそれ以前よりこの地に祖神を祀り 御神徳を輝かせ 一大勢力を保っていたと考えられる。」
万葉の歌も二首刻まれていました。(この地を詠んだ歌、のようです)
「いはばしる たるみのおかの
さわらびの もえいづるはるに
なりにけるかも」志貴皇子(シキノミコ)
「いのちおし さきくよりけむ
いはばしる たるみのみずを
むすびてのみつ」読人不明
注連柱を潜ります。

手を清めます。

(↑その左の赤い箱は 古札を納める所。/「納め口から入らない大きさのものは 社務所にご相談ください」と書かれた紙が貼られていました)
石段の上に社殿があるようですね?

石灯籠に立て掛けてあったパネルには 神社の歴史が書かれていました。

↑「平安時代」の項を抜き書きしますね_
「平城天皇の時、封戸の寄進を受けご神領を賜る。 醍醐天皇の時作られた延喜式では 名神大社とされ、住吉大社などとともに祈雨を司った。祈雨のたびに朝廷から神階が授けられ 従五位下から従四位下まで社格が上がった。
大嘗祭にさきがけて行われる八十嶋祭において 朝廷より奉幣があり、祭料布が下賜されていた。これを証明するかのように、神崎川畔の五反島遺跡から八十嶋祭に使用されたと思われる古鏡が発見されている。」
「明治~昭和」の項も興味深かったのでー
「明治の廃仏毀釈によって 西側に隣接していた栽松寺が無くなり、その後、不動明王を祀る不動社が建立された。」
「平成~」
「平成23年、境内東側の森を民間から買い取った不動産業者が、本殿を見下ろすマンション建設を計画した。美しい森を子孫に残したい氏子崇敬者が「垂水の森を守る会」を結成。署名と奉賛金を集め、業者から当該地を 森のまま買い取った。
平成27年には隣接する日本生命グランドが不動産業者に売却されて宅地開発されることになった。神社との隣接斜面氏の森林部分が開発されないよう「垂水の森を守る会」が交渉を続け、翌年 不動産業者から森林部分が神社に寄贈された。」
へ~っ
石段を上がります。


社殿

バックに森を背負っていて厳かな佇まい。(現在の建屋は1974年に再建されたもの、とか)

唐破風には菊。(御祭神・豊城入彦命が皇子だからですね)

狛犬


拝殿を横から見たところ。

拝殿の奥には神殿が。

社殿を囲む塀の脇に「玉之井の井戸」なるものがありました。

その東に 末社が並んでいました。

(左から皇太社、祓戸社、戎社)
戎社の隣にあった「垂水弥生遺跡」の説明板。

その脇に 山への道。 (多分神社の裏山にあるという遺跡に通じているのでしょうね?)

その先に_

「垂水の子孫たちへ」という 未来への伝言、が刻まれた石のプレートが立てられていました。

(感動的な文でした_)

境内の南の端まで行くと 下に神社の駐車場が見えました。 その先は どこまでもビルが~。/ 神社の森の貴重さがわかりますねー。


(↑グーグルMAPの航空写真。/時に神社の南東の雉子畷碑って何? と思ったら まあ・・・(後略))
境内の西の階段を下ります。

小滝、があった。

文字通りの「垂水」だ。

衝立があるのでお滝行が行われる場所だと思われます。

樋の上には かしいだ光背をもつ小さな仏様が。(光背の形+場所がら お不動さんでしょうね?)

近くには「金伯白龍」と刻まれた石が祀られていました。

赤い鳥居はお稲荷さん。 / 祠の左手前の石には 吉久大明神_(+左右には龍神様の名)と刻まれた石が祀られていました。

大神社。

道なりに行きます。

歌碑があった。


志貴皇子の「垂水~」の歌ですね?
津くよみの池。

更に行くと_

垂水の滝。(こちらが本瀧 だそう)

脇の鳥居には_

「高登社」という扁額が掛かっており、奥には幾つもの神名石が。(あちこちで祀られていた小社がまとめられた~ とかかしらー?)

西の 一段高まった境内_

ここが明治期に廃寺となった栽松寺の跡でしょうか?
↓山側には窯跡のように斜面地を削った場所があり 「政高大明神」と書かれた扁額の載る鳥居が立っていました。

そして参道から見て一番奥に「不動明王」という扁額の掛かる鳥居を持つ「垂水不動社」。

神仏混交の名残りを見せるお社に挨拶をし、小走りで戻りました。(だって 蚊がー)
来る前よりわからない事が増えた気もしますが^^;) 「垂水」に「1」詳しくなれました。/ おしまい。