上宮天満宮(ジョウグウテンマングウ)境内社「野身(ノミ)神社」 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

中村商店でラーメンを食べた後は_
一旦JR高槻駅に戻り、

上宮天満宮へ向かいました。

(↑駅の北の緑の楔型の部分が天満宮の建つ「日神山(ヒルガミヤマ)」、です)

動機は_
先日訪ねた枚方(ヒラカタ)市は牧野の片埜(カタノ)神社 (←野見宿禰(ノミノスクネ)が垂仁天皇からもらった土地に移り住んだ~ という伝承を纏う社) の 淀川挟んで対岸に位置する、 高槻市上宮天満宮の境内に野見宿禰(ノミノスクネ /ここ高槻の神社名としては「野の字があてられています」)を祀る社がある、とわかったから。
(今ちょいと「出雲からの入植者 力士・野見宿禰やその一族」に興味を持ってましてー)


↓駅の北口。

そこから真北に伸びる道の先に 山が見えます。あそこが目的地ね?


少し行くと 大きな鳥居がありました。

1977年に現在の大鳥居が建てられる以前 ここには石の鳥居がありました、 と近くのプレートに書かれていました。(つまり道路を跨ぐサイズのコンクリート製の鳥居が 必要 になった、んですね?)

鳥居の「額束」という部分には天神さんの梅紋。


更に行くと山へ上がる 坂と石段 が現れました。

左が車道、右が人のための参道のよう。

(↑石には神社名。 その下には 「創建927年 我国第二の天満古社」と刻まれています。/ ここは大宰府に次いで 二番目に建てられた天満宮なんですねー?)

では上がって参りましょう。

(↑階段手前には「てんじんさん参拝所」と書かれた祠がありました。階段を上がれない方のために設けられた場所でしょうか?)
↓石段の上の石の鳥居には 耐震補強(かな?)が施されてました。

↓石段を上りきった所にあった案内板。

野身神社、は 上宮天満宮に次ぐ位置の神社のようですね?

↓石段の先には 坂ー。

↑あ、猫だ。「にゃー、にゃー」と呼んだら
↓「にゃーにゃー」言いながら愛想良く駆け寄って来てー

↓頭をすりつけてきた。のだけど

「なんだ ごはん持ってないのかー ちぇ」って感じで・・・

ぷい と行っちゃいました。。。

さて、坂を上りますか。

(↑時に この右手に見える石垣~ の上、に最初の目的地「野身神社」が建っています。)

坂道を上りきると 平坦な神社境内に出ました。 正面が天神さんですね?

でもまずは、右手にある野身神社へお参りしましょう。

左手の石に「式内野身神社」と刻まれています。ここは式内社(シキナイシャ)『摂津国嶋上郡 野身神社』 に比定されているんですねー。

↓土塀にあった説明板。/ 野身神社の建つ場所は「宿祢塚古墳」という古墳でもあるんですねー。(名称から 野身宿祢が葬られた塚、のようですが はっきりそう とは書かれていませんでしたー。ある意味正直な説明板。)

「野身神社と宿祢塚古墳
 土師器(ハジキ)と呼ばれる素焼きの壷や皿は祭祀用に用いられ、これらを制作する土師氏を率いる族長が ノミ(祈み)のスクネ(直の根)と呼ばれ 神に対する直系の長を意味する。
 この日神山(ヒルガミヤマ)を北端として、東西1キロ・南に3キロの地域は野見郷(ノミノサト)と云い その族長が葬られ連綿と祭祀された。」

?すると野見宿祢は族長の呼称? 何代にもわたり何人もの野見宿祢がいた、んでしょうか?

さて、この野身神社 は平安時代(927年)に書かれた延喜式神明帳に、 野見宿祢を祀る社 として四社載るうちの一社、(三河、尾張、因幡、及び 摂津_当社)だそう。/ (土師氏から菅原氏へ改名した菅原古人の曾孫 道真公が天神さんとなってからは 各地の天神社で祖神として祀られる事が多くなっている野見宿祢さんですが、 この神社は ここに天神さんの社が建つ以前からの 由緒ある「野身神社」 なんですねー?)

説明板にはこの他 日本書紀の記述から「相撲の神様としての伝承も定着している」と書かれています。 が「野見宿祢」というともう一つ、よく知られた話がありますよね。殉死の風習を改めたいと言う垂仁天皇に、 墳墓に(殉死者の代わりに)埴輪を置く事をすすめ これによって土師臣(ハジノオミ 日本書紀では土部臣)という姓(カバネ)をもらった、という話_。 自分のために書き加えておこう^^)

拝所の格子越しに神域を見ると 簡素な祠が建っていました。

ここに お鎮まりなんですね、宿祢さん。

わからない事もまだまだ沢山あるけれど、 これからも ちょ っとずつ知っていきたいなあー。(入植者はどこから どんなルートでやってきて 他の部族とどんな風に関わっていったのかー。 私達はどうやって作られてきたのかー。)))

えーさて、ここは古墳の上 らしいのですが 全体像が見えてきません・・・

(↑↓宿祢塚古墳の東斜面。作業用にでしょうか 道が作られていましたが 入る事はできませんでした)

図、か何かあると ありがたかったなー。

さて、続いては天満宮 本殿の方へ行ってみましょう。