若狭姫神社(若狭国一宮 下社) | (又)おだわらぐらし はじめました

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「新しい日常」を綴って参ります

若狭姫神社へやってきました。 ここから若狭彦神社 神宮寺と回って、 奈良の二月堂のお水取りの為の「お水送り」神事が行われる「鵜の瀬」を見るのが 今回の旅の目的です。

由緒書。

こちらは(少し川上に建つ)若狭彦神社の下社ですが、若狭彦神社と対で「若狭国一宮(ワカサノクニノイチノミヤ)」なんですね?
上社に後れる事6年の 養老5年(721年)創建。 祭神は若狭姫大神(=豊玉姫命。 上社に祀られる山幸彦の奥さん)。

では小さな流れを渡って境内へ。


木の鳥居の左手に手水舎。


遥拝所。

(上宮、鵜の瀬の方を向いています)

随神門。

随神門ったら 普通は中に 老若二人の 随身の装束+武具を身に着けた神像が納められていますが、この神社の場合は 一つのブースに四柱。両方で八柱の神様達が座っていましたー。/ 八柱の神像は「吉祥人」。御祭神がこの地に御鎮座の時にお供をされた「眷属」の方々、との事。参拝前後にこの「吉祥八人」に挨拶するのがマナーだそう。



↑格子から覗いているので一枚に三体しか写ってないー、のですが四体並んでお座りです。
吉祥人が四人ずつ向き合う_というスタイルが残っているのは 今や日本でこの若狭国一宮神社(若狭彦t+姫の上下社)のみ、ですって。

門にはこんな扁額も掛かっていました。

「遠敷(オニュウ)神社」。/ 遠敷は地名(かつての郡名)。川の名も遠敷川。 神社の通称も「遠敷明神」だそうです。

門の向こうにお社。(社殿は、元寇で神風を吹かせて下さった御礼に と鎌倉の末に造営されたものがベースになっているそうです)



右手に能舞台。



神門の向こうに神殿。幕の紋は(天皇家の祖神ですから)菊。

板垣の内の杉、大きい!

横から_。


左手の建屋脇に 銀杏の大木があります。

何なに?

「乳神様」ですって。

銀杏の木そのものが信仰の対象になる、 って時々ありますね?

(↑神饌所に貼られていた「神木 銀杏」を描いた古いポスター)

又この若狭姫神社の御神徳の一つは「安産育児」だそう。

銀杏の隣に陽石+陰石が置かれているのも子孫繁栄を祈願してでしょうね?


その奥には霊水「桂の井」の水汲み場_

沢山汲まれる方はこちらでどうぞー。

「桂の井」の名の由来が 近くの札に記されていました。
 桂_兄海幸から借りた釣り針をなくした山幸は海神の宮殿へ行き、井戸の傍の桂の木に登る。水汲みに来た豊玉姫は井戸に映る山幸の姿に気づいて~。
 「この木は当神社に相応しい霊木であります。」

_近くに桂の木もあったのかもしれませんが・・・見落としました。


では退出して_


川上に建つ「上社」、若狭彦神社 へ行ってみます。/ つづくー