実は岸和田城へ行っております。
順番逆ですが 岸和田で撮った写真を貼っていきますね。
まずは消防署前の二の丸を見上げるポイントに立って、

お堀を眺めー

(↑因みに かつてはあの石垣の上に「伏見櫓」という伏見城から移した隅櫓があったそうなー)
市役所の建屋裏の細い道を通って~

(↓堀の端にはもう菖蒲が咲こうとしてました)

児童公園を横切って~

(↑あの隅櫓っぽいのは御手洗でしたー)))


本丸を囲む内堀に面したエリアへ。

本丸に入るため、内堀に沿ってまずは二の丸方向へ歩きます。

道脇には屋台が一杯。

(↑元々はこの方向に御殿の建つ二の丸への櫓門があったようです。)


屋台で買った食べ物は 今は公園になってる二の丸で食べたり、内堀脇の柵に座って食べたり~。


昔は二の丸を通らないと向かえなかったお城ですが、今は堀脇の道から ひょい と登城口に入れるようになってます。

行ってみましょうー。


櫓門を潜るとー

分かれ道。

右の石段を上がると隅櫓前にー

左の緩やかな坂の方へ行けば~

「岡部氏記念碑」(岡部氏は旧藩主)と刻まれた石柱前を通って

お城の前に出ます。

じゃじゃん、これが岸和田城。別名:千亀利城(チギリジョウ)。(ちぎり、は 本丸と二の丸が繋がった形が「千切(チキリ)」に似ている所から~ といいます)

(岸和田にお城がいつできたか~ については詳しくはわかっていないそうですが、今見える天守を持つ城郭としての岸和田城は 1597年に小出秀政によって作られた_んだそうです。その後(かなり中略)1640年に阿部氏が入り、以降明治維新まで国替え無しで藩主を勤めています。)


岸和田城を近年になって有名にしたものに 重森三玲が作庭した「国指定名勝 八陣の庭」があります。

ちょっと前衛的過ぎて「どう鑑賞すれば?」なお庭なんですがー

「諸葛孔明が考案した八陣法」がベースになっている 武将の住まいに相応しいお庭、みたいー。


この庭を鑑賞するためにも

天守閣へ上がってみましょう。

(中の展示物は撮影禁止でしたが、窓から庭を撮るのはOK)



ほお~う。(よくわからぬままに)
続いては二の丸に入ってみます。
つづくー