ニテコ池周辺 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

名次神社参拝後は「ニテコ池」脇の
「ニテコ筋」を歩きました。

前の項にも書きましたけど この池は採土場跡。( 西宮神社の大練塀には ここの土が使われたそうナ) 又「ニテコ」という名前は (土を)「練って来」からきているという説が有力、らしい。




池の南には堤防があり、その下に 又池がー。/ 実は「ニテコ池」は三つの池の総称で、 一つひとつは 上から「第一貯水池」「第二~」「第三~」と呼ばれているそうなー。

↓第二貯水池。



↑第二と第三の貯水池の間の堤防から北を振り返ると、奥に甲山(カブトヤマ)が見えました。(甲山は 火山で山頂には噴火口跡があるそうです。いつか上ってみたいと思います)

↓ここから南(右側)が第三貯水池。




第三貯水池の南は住宅地。 『蛍の墓』の原作者 野坂昭如さんが養子として引き取られていた 叔母さんの家、節子のモデルである小さな女の子(義理の妹)と遊んだ防空壕は そのエリアにある との事。(へー)/ アニメ版では貯水池脇に横穴式の防空壕が描かれていますが、実際にそうした防空壕が 複数_昭和40年頃まで残っていたそうです。(へー)

さて、第三貯水池の西には 素朴な土塁がありました。 

道なりに行くと味わい深い門が現れた。

地図を見ると「光雲荘」と表示されます。 昭和12年に着工、二年半かけて建造された松下幸之助の豪邸の ここは東の門、のよう。(因みにその建屋は2009年に 枚方市に移築された、そうです。)/ この豪邸は「私的迎賓館」であったらしく、 幸之助夫妻が主に暮らしたのは 第一貯水池横に建てた「名次庵」というもう少し小ぶりの家の方、ですって。

そろそろ戻りましょう。
第三貯水池前の道を西へ下り、

夙川沿いの道へ。

それから苦楽園口橋 を西へ渡ると_

線路脇に子安延命地蔵がありました。


お地蔵さんも多い地区ですよねー。

地蔵堂向かいが阪急の苦楽園口駅。

↓改札上の案内パネルの絵、 この頃あちこちで見る(使用料無料の^^;)「いらすとや」の絵だー。(テレビ局のフリップとかでも いらすとや の絵がよく使われてますよねー? / 「使用料無料の画像」が絵を描く人達から仕事を奪わねばよいのだけど なんてちょっと思ってしまいます)

そして神戸線の電車には中村佑介のイラストが!↓

「あー 今日も一杯色んな物 見たなーっ」
って 思いましたです^^) / おしまい。