高山散策-5(高山陣屋) | (又)おだわらぐらし はじめました

(又)おだわらぐらし はじめました

 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

高山市政記念館を出た後は「高山陣屋」へ行ってみました。

赤い欄干の「中橋」の手前・・・

料亭「須さき」さん前の祠が お正月の準備をしてもらってました。

食事処「のがわ」さん横の 川辺の道に 雪除けの幌を出した人力車。

その先の ちょ っとうねった道_。

何もかも「いいねえ」。
って 先を急ぎましょう!


中橋を渡ると めざす陣屋は 目の前でした。

(↑↓陣屋手前のテントは「朝市」の名残り・・・// ここのは「陣屋朝市」と呼ばれているようでした)


入ってみましょう。



へ~ ここは全国にただ一箇所残る「徳川幕府 郡代役所」なんだー。
(飛騨には金森氏という大名がいたのに 元禄時代に 幕府は藩主を移封して直轄領とし 代官を、後に(その上、の)郡代を、置いたんですね。/木材資源+鉱物資源を幕府が管理するためとか/_へ~。)

で ともかく_
金森氏がお殿様だった時代の「下屋敷」が 「郡代及び地役人が執務する 代官所」 兼 「郡代らの暮らしの場」_「陣屋」、として使われたのですって。


↓玄関。

ボランティアさんが「Hello!」と言いながら靴用の袋を渡してくれました。(見学者は圧倒的に外国人が多いので 基本 英語で話しかる事にしているようでした^^;)


入ってすぐの「玄関之間」。青海波の襖や大床の壁紙が斬新! ですが 実はこれは「正確な復元」なんです。(この後「御蔵」で保存されている元々の襖を見る事ができました)

玄関の隣は「御役所」、その隣は「御用場」。

「御役所」(中央の役人の執務室)、「御用場」(地元の役人の執務室)の前は_

「北の御白洲(オシラス)」。

↑「民事を扱った法廷。時には孝子節婦の表彰も行われた。」/だそう。

↓順路案内図。

案内に従い 進みます。


玄関~役所 を振りかえって見たところ。

北西の棟のどん詰まりは「町年寄詰所」でした。

↓「北の御白洲」へ用のある人は この潜り戸から敷地内に・・・

(↑屋根が榑(クレ)という板葺きであるところも ご注目~ )
↓そして土間口から館内へ入ったようですね?


中庭越しに玄関の方を見ています。


こちらは「書役(カキヤク)」の部屋。


↓地役人出勤口。

↓囲炉裏のある部屋もありました。

↓お勝手もついてました。

↓隅に御手洗。


屋根壁のついた渡り廊下。


その先は郡代の生活の場:「役宅」、でした。(郡代の妻子 もここで暮らしていたんですねー/ 郡代の母親が一緒に住む事もあったようです)


居間

居間の床の間


居間から見た庭。

(↑左は書院)


居間の西にも座敷が並んでいました。

茶室。



長持が置かれていました。

「御奥」。/ 郡代の妻の部屋だったようです。

床の間には楊貴妃の絵。


女中部屋。


台所。


こっちの棟は天井が高くなっています。屋根にはけむ出し窓もついています。

土間。

屋根の材料「榑(クレ)板」もここで作られていたらしい。

下台所。



引き返して~


書院を見学。

↑郡代の部屋。書斎も兼ねた、との事。/ 床をバックに座ると 南を向く ようになっています。(「君子南面す」ですね?)
↓南側の広間。その先は「使者の間」。

使者の間には「寺僧駕籠」なる物が展示されていました。(当時の人は籠を見ただけで 中に乗ってるのが お侍か お坊様か わかったのかしら?)


書院前から 「役宅」の方を眺めたところ。

(↑「居間」が すぐそこに見えます)

順路案内に従って進むと・・・

「御白洲(オシラス)」がありました。

玄関の北にあった 民事用の白洲とは違い こっちは刑事用?

↑囚人駕籠や 拷問道具が置かれていて 怖かったー。
(因みに、白洲に座らされるのは 庶民だけ。「由緒ある浪人や 御用達町人は板縁、武士・僧侶・神官は縁側で吟味を受けた」そうです。)

続いて「御蔵」を見学。



(↑北側)
(↓南側)

↑蔵の屋根も「榑(クレ)」という木の板で葺かれていました。
↓榑の作り方~

(そういえば「役宅」の方の 土間 で この「くれ」が作られていましたっけね)

本当に すみからすみまで 面白うございましたよ!


さて続いては 高山の祭の花!「屋台」を見に行きましょう~。