ではいよいよ(?)高山の祭の花、屋台(=山車)が展示されている「高山祭屋台会館」を見に行きましょう。
まずは桜山八幡を目指します。
高山陣屋から桜山八幡~というのは 実は伝統的建造物群保存地区を 南から北へ縦断する事になります。
という訳で 途中幾つもの屋台蔵を見る事になりました。
(↓撮った順に貼りますー)
宝珠台(ホウジュタイ)蔵
仙人台(センニンタイ)蔵
龍神台(リュウジンタイ)蔵
鳳凰台(ホウオウタイ)蔵
鳩峰車(キュウホウシャ)蔵
仙人台と鳳凰台には この後 屋台会館で実際に会えました。
大新町 あたりー。
社名を刻んだ石柱があった。
この正面が神社、ですね?
道の端にあった案内板。「屋台蔵がたたずむ街並み」
鳥居を潜ります。
扁額の文字「櫻山八幡宮」
参道左手に「高山祭屋台会館」。/後で寄りましょう。
石段を上ります。
又鳥居。
扁額の文字は「八幡宮」。
↑享保15年(1730年)に代官(←当時高山には郡代ではなく代官が置かれていた) によって寄進された物、だそう。
手を清めましょう。
社殿の方へ。
(↑神社の神紋は桜)
拝殿。
こちらは 八幡様_応神天皇を祀る神社。/神社HPの御由緒の頁によると_ 仁徳天皇の御代に 飛騨を荒らしていた 両面宿儺(リョウメンスクナ)という顔が二つある凶賊を討つためこの地に遣わされた難波根子武振熊命(ナニワノネコタケフルクマノミコト)が 先帝応神天皇の御霊を祀って戦勝祈願を行ったのが始まり~ とか。
(↑あ、お賽銭箱の蓋は この時タマタマ開いてただけです。念のため)
左手に石燈籠が一対ありました。
「大原代官寄進の燈籠」(安永七年(1778年)ですって。
(↑へー 安永二年(1773年)_十二代目代官:大原彦四郎の時に農民一揆があったが、大原はこれを鎮圧した上 再検地の強硬によって飛騨国を増石。この功績によって 安永六年 代官から郡代に昇格した~ そして 郡代となった大原彦四郎は一対の石燈籠を寄進した・・・。ですか。/ + この安永六年以降 飛騨には郡代が置かれるようになったそうです。)
境内の末社にもご挨拶。
↓稲荷社
照前(テルサキ)神社・菅原神社
(↑右に祀られているのは天神さんこと 菅原道真公ですが、 左には この八幡様を創建した浪速根子武振熊命が祀られているそうです。)
_ 神社の公式HP見て知りましたが 境内末社には他に 秋葉神社 琴平神社 があったようですね・・・。ご挨拶しそこねてます すみません。。。
振り返ったところ_。
北の坂から下ります。
手水舎横に出ました。
絵馬殿。
では続いて 境内に隣接して建つ「高山祭屋台会館」へ~。
(↑祭屋台11基 + 御神輿1基)
入館~。(撮影はOK ただしフラッシュ禁止)
(↑手前の 藁縄で巻かれているのは「高山 手筒花火」)
お・おー!
これが 今では ここでしか見る事ができない 御神輿。(重すぎて担ぎ手が確保できなくなり、今 お祭では小ぶりな物を使っているそうです・・・)))
(↑ ものすごく美しいんです。キラキラなんですよ)
↓豊明台(ホウメイタイ)
↓仙人台(センニンタイ)
↓神馬台(ジンマタイ)
↓鳳凰台(ホウオウタイ)
いやもう ・・・ すごい すばらしい。
時に_
ここに陳列されているのは屋台11基の内4基。/時々「入れ替え」が行われるそうなのですが、会館のこのホールの入り口より 屋台の方が 少~し「高い」のですって。ではどうやって戸を潜るかというと、 屋台の屋根は少し下げられるように作られているので、「屋根を下げて 戸を潜る」そうなー。 へ~っ。
はーっ 大変見応えがありました。
暗くなって参りましたので、 宿に戻ります。
(↑一の鳥居)
(↓宮前橋から 一の鳥居越に八幡様のある山を眺めたところ)
三日目の観光 終了ー。/ つづく