上賀茂神社 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

「みその橋サカイ」でお昼を食べた後は、
賀茂川に架かる御薗橋を渡って~

(↓橋から賀茂川川上を見たところ)

(↓川下を見たところ)

賀茂別雷大神(カモワケイカヅチノオオカミ)を祀る上賀茂神社へ。

ご存じの方も多かろうと思いますが 「上賀茂~」というのは通称で、正式名称は 賀茂別雷神社(カモワケイカヅチジンジャ)。京都最古の歴史を有する神社です。(社伝によれば「起源は遥か2600年以上前に遡る~」そうなー) 5月の葵祭で全国的にも有名ですが 関西では「厄除け」の神様として人気があります。

赤い鳥居を潜ると 

まーっすぐ伸びる参道が。

(↑参道に沿って張られたテントは翌日から始まる「パン」のイベント用のもののようでした)

↓テントの向こうに 「外幣殿(ゲヘイデン)」。


正面に 又赤い鳥居が_。

その横の境内MAP。

その手前には↓「神馬舎(シンメシャ)」。


鳥居を潜ると 対になった「立て砂」を持つ「細殿(ホソドノ)」が正面に見えました。(上賀茂~ といえばコレ 的な絵、ですね?)

この細殿は 社を参拝される天皇や斎宮が装束を整えられる場所:著到殿(チャクトウデン)として使用されてきたそうです。

立て砂の上には 松の葉 が刺してありました。

(↑右手奥の建屋は「舞殿(マイドノ)」)
実は松葉は 左が3本 右が2本で 「奇数と偶数」「陰と陽」を表しているんですってー。/ 又円錐形のこの形は 神社の北にある「神山(コウヤマ)」の形をうつしたもので、神の降臨される場所:ひもろぎ として置かれているのだそう。


この日の細殿では雅楽の練習が行われていたようで、行きしなは 中から篳篥の音が流れていました。(帰りしなには楽器が増えてて 雅~ なアンサンブルが聞こえてきてましたー)


細殿の右手前に 壁の無い簡素な建屋がありましたが これは「楽屋(ガクノヤ)」といい、神仏混淆の時代には ここで御経が上げられていたそうです。


細殿の裏手に手水舎がありました。

手を清めたら小橋を渡って楼門の方へ。

橋から川上側を見たところ_。(清らかな流れを渡ると聖域に入った気がしましたよー)

楼門の前に出ました。

門の脇には絵札が~。

門の前の橋。(玉橋)

その先に もう一つ屋根付きの橋が架かってました。片岡橋、だそうです。

片岡橋を渡った先の小社:片山御子神社には、御祭神の母神:玉依比売命(タマヨリヒメノミコト)が祀られています。

ここは紫式部も通った縁結びに御利益のある社だそうで、ハート型の絵馬がどっさり奉納されていました。

神社の神域を守るように流れる御物忌川に沿って歩いてみるとー

川尾神社がありました。御祭神は罔象女神(ミヅハノメノカミ)。

もう少し行ったところでー

道は終わってました。

この奥には(MAPによるとー)山尾社・新宮神社があるようでした。


引き返して 楼門を潜りー

拝観受付へ。


500円収めて紙製の浄掛を頂き、御祓いを受けた後 中門の奥の本殿と権殿を見せて頂きました。撮影禁止でしたので絵はつけられませんが 神聖な領域に入らせて頂けたという 緊張感と喜びを味わう事ができました。

お参りの後は、
緑と水の豊な境内地を散策しました。

(↑川にかかる舞殿)

(↑土屋(ツチノヤ)/神官らの著到殿として用いられていた建屋)



(↑お稲荷さんの参道。先の台風で鳥居が随分壊れていました・・・)




もう、上賀茂神社ってば どこもかしかも_ 駐車場の中の 何の説明書きもない建屋まで 趣があって素敵でしたー。


この後は 社家町を歩いて 大田神社へ行ってみましたー。/つづく


<追記>
社伝にある「起源は2600年以上~」の根拠は、山城国風土記(←現存せず)に「日向曾之峯天降坐神、賀茂建角身命也」と載っていた~ と『釈日本紀(シャクニホンギ)』にある事のようです。
日向は初代天皇:神武天皇の出身地。賀茂建角身命は下鴨神社に祀られる 賀茂神の祖神で、八咫烏(ヤタガラス)となって天孫:神武天皇の道案内をした~ という伝説ももっているそうです。~という訳で「♪紀元は2600年」(←大和建国)よりも古い起源を持つ という事になるんですね?
神社では 八咫烏に因んで、か「烏相撲(カラスズモウ)」という子供相撲の奉納もしているそうです。 YouTubeに動画が上がっていましたが 神職さんがカラスの所作を真似て ちょんちょん と跳んだり かーかー 鳴いたり と なかなか面白かったです^^)