勢いで これまた摩崖仏で有名な「笠置山」 へ行きました。
↓駐車場にあった周辺MAP

(↑MAP上部の赤い四角が「現在地」)
↓これが山上のお寺のMAPです。

駐車場から坂道を上ります。

道なりに行くと料亭ー。(うっかり料亭の方へ行ってしまう亭主・・・)))

料亭のゲイト脇の石段を上がるとー



笠置山寺(カサギサンジ)の門がありました。

寺の縁起

(創建は不明ながら飛鳥時代にはすでにお寺があった模様。奈良時代には修験道の行場として、平安時代以降は弥勒信仰の地として栄えたと言います。しかし1331年の元弘の乱の「笠置山の戦」で全山ほぼ焼失・・・)
受付手前に鐘がありました。

「解脱鐘」ですって。

縁が花びらのように六つに割れています。(1196年に東大寺の俊乗房重源(チョウゲン←東大寺復興に尽力した方)によって鋳造された鐘で 日本に一つしか無いスタイル_なんだとか)

受付で入山料を納めて 「山めぐり」へ出かけましょう。

↓入山口近くにあったMAP。

その先に丹塗りの祠 二社。

↑春日明神社(左) と 椿本護王宮(右)です。
(春日さんは 1193年にこの山に入った興福寺の僧が勧請した社。今ある社は 2016年に春日大社の摂社「本宮神社社殿」を移したもの、とか。/ 椿本護王宮は 笠置寺一山五十ヶ寺の総鎮守社。908年に吉野の金峯山(キンプセン)から勧請されています。が1331年に焼失。現在あるのは様式から桃山時代の物と考えられ 「豊臣氏の再興の可能性が高い」んですって。)
ではいよいよ 入山。

受付でもらった地図↓を頼りに歩きます。

左手 石段の上にお堂が見えますが_ そこは「あがり」に寄る場所のようなので



(↑猫。これは今は亡き笠置山の名物猫「笠やん」の像、 らしいー)
道なりにー。

わっ

いきなり現れた巨石。

↑見上げて怖い岩 って なかなかありませんよねー。しかし この先にはもっともっとな岩達がー。
摩崖仏が見えてきました。

これが「本尊」の弥勒様。/奈良時代に渡来人が刻んだと考えられているそうです。

線は消え光背だけが残っているんですねー。
すぐ前に建つお堂(正月堂)の中に

仁和寺に伝わる 『笠置弥勒像』と記された「絵」を岩に写した写真がありました。(岩肌にかすかに残る凹凸と絵を重ねたらしい)

↑こーんな感じ、だったんですかねー。(って全然わかりませんね^^;)
ググったらこんな画像も見られました↓
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/160565
↑絹本著色笠置曼荼羅図_鎌倉時代の絹に描かれた絵ですが、 こーんな感じ、 だったんでしょうねえー。
時に_ このお堂も素晴らしい歴史を持ってるんです。



なんと東大寺のお水取りの初回は ここ笠置山 で行われていた、んですねー。そして それゆえ東大寺には 二月堂 三月堂はあるのに 正月堂は建てられていない、そうなー。。。(へ~っ!/ただし 最初の正月堂はこの場所ではなく、現在「大師堂」が建つ場所だった~ と 大師堂まで行ってから知る事になりますー)
又、
お堂の下を通ってて初めて気づいたのですが

崖側が懸造り(カケヅクリ / 舞台造りとも)になってるんです。

なかなか~ な感じですよね。

さて、その先_。

岩が合掌する形になっている場所に 小さな祠がありました。

千手窟、という昔の修行場だそうです。

(ここが東大寺の大仏殿の完成 今に続くお水取りの法会に大きくかかわっていたとは)


さてその先に_

保存状態の良い摩崖仏が見られました。

目の高さにある蓮の台(ウテナ)・・・というか茎?(ウテナは萼の事だそうだから)

近くにあった説明板。

↑弘法さんが一夜にして刻んだ虚空蔵菩薩~ という伝説をもっていますが 実際は先の弥勒摩崖仏と同じく 奈良時代の渡来人の作と考えられているそうなー。
虚空蔵さんの先には_

「胎内くぐり」なる場所が。

説明板↓

なるほどー「滝」代わりに 身を清める場所、ですか。で、元々は自然石が載っていたが安政の大地震で落下し 今は切り石の天井となっている、と。

くぐり抜けた先はー

新たなワールド って感じでした。


「太鼓石」ですって。

こ・・・ これの事かなー???

(説明板、ぷりーず)
岩の下を潜って先へ進みます。




ぽん と見晴らしの良い場所に出ました。

木津川だー。(川の右側を関西本線が走っています)

んーどうだろう 北東を向いてる、のかな?
更に行くと_

「ゆるぎ石」なる物が。

↓説明板

この石ですかねー? 二人で押してみましたがビクともしませんでしたよ^^;)

ゆるぎ石前からの眺め。


ゆるぎ石の所から更に上がると_


大きな岩の前に出ました。

歩きやすいように階段が付けられている。(よかったー)

ふらつかないよう 一本だけですが てすり もついていた。(ありがたい・・・ ってこれがもしかして案内板のポールだったりした? 後からわかるのですが ここが「平等石」なんですよー)

そこからの眺め。

↑北東だけでなく_
↓北西エリアも見る事ができました。


(↑笠置大橋が写ってます)
しかしここからどうしたものかー。

↑この岩の上まで上れば 向こうに下りる階段があるー のか???
↓ひきかえしましょう^^;)

(しばらくうろうろ)))
通路と認識していなかった岩の隙間ですがー ここを通るしかなさそう・・・

体をななめにして通り抜けましたーーー。
後でググってわかりましたが 狭い隙間は「蟻の戸渡り」という所でした。(案内板 ぷりーず)
さてその先~。




(↑小石が沢山はさまった岩。/下を潜る人が「どうぞこっちに倒れてきませんように」と置いたんでしょうねー)
久しぶりの平坦な道。

しかしすぐ終わる。

石段を上っていくと_



四阿の建つ ちょ っと開けた場所に出ました。


「二の丸跡」と呼ばれる場所ですが実際には建屋は築かれていなかったといいます。 (1331年、幕府転覆の目論見がバレて鎌倉方に追われた後醍醐天皇が立て籠もった場所がこの少し上にあり、そこを御所とみなしての呼称、だそうです)
↓そこからの眺め。

先へ行きましょう。

おや 分かれ道だ。

ちょいと 脇道 の方へ行ってみます。


何か不思議な・・・石碑のようなものがー。

何の説明板も無かったのですが 忠魂碑 のような物かしら? 町に知ってる人がいるうちに 説明板を作った方がいいんじゃないかしらー。

(何か封印されてるっぽくて気になりました)

__ と その先にあった 大きな岩。

貝吹き岩、ですって。

引き返してー

少し行くと

「行在所跡」がありました。


石段を上ってみると、

↑山頂(標高290m)には まるで廟所を思わせる玉垣が設置されていましたー。
ここで後醍醐天皇は捉えられ 隠岐の島へ島流しにされたんですねー。(そして笠置山の寺は全て灰燼に・・・)))
下の道に戻り、先へ進みます。

(↑右手下には紅葉狩りの頃にはさぞやー と思われる公園が)
あ、お堂が見えてきた。


大師堂です。



へー、ここに元々は「正月堂」が建っていたんですねー。建立は751_ 東大寺の大仏開眼の前年ですかー。
(今は弥勒摩崖仏前にあるお堂が「正月堂」と呼ばれていますが)
あー 色々学び 一杯歩きましたー。

(↑コースを一周して鎮守社まで戻ってきたとこ)
お・し・ま・い