↓神戸郵船ビル

↓海岸ビル 商船三井ビル

(左の海岸ビルは震災で一度取り壊しになりましたが 右の商船三井のビルはあの地震でも床の一部にに亀裂が入った程度だったといいます。/今あるビルはその後「更に補強工事」がなされたもの、とか)

海岸ビルと商船三井ビルの間を行くと_
↓エルメスのビル(旧居留地38番館)が。(その左隣は大丸)

生田神社の三宮がありました。
地名・駅名の三宮(=三ノ宮)はこのお宮からとられてるんですねー?
(因みに生田神社には裔神(エイシン)社が八つ_一宮~八宮があります。)


角に「史跡 神戸事件発生地」と彫られた石柱が。

慶応4年(1868)1月の神戸事件はここで起こっていたんですねー。(翌2月には堺事件が起こっています・・・/開国したての日本はまだまだ「侍の国」だった?)
鳥居を潜ってすぐ左手に_

神戸事件当時 備前岡山藩が(新政府の命令により 徳川方の尼崎藩牽制のため)摂津西宮へ運んでいたのと同型 という大砲が置かれていました。

手を清めます。

改めて_ 三宮。御祭神は 湍津姫命(タキツヒメモミコト/宗像(ムナカタ)三女神の一柱)。

社殿手前の八角陣(?)の自分の干支の上から拝むのが良いとされてるんですってー・・・

生田裔神八社は 番号順にお参りすると(「八宮巡り」) 厄除けになる、そうです。ぽんと三宮だけお訪ねしても御利益の発動はない?
とそれはともかく
三宮町の三宮神社を訪ねて 神戸に「1」詳しくなれた気がしたのでした^^)