神戸華僑歴史博物館 | おだわらぐらし

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超絶賑わう南京町を抜けー


メリケンパークの手前(二号線傍)の 神戸華僑歴史博物館 へ行ってみました。

国道側に ワンピースを来た少女のブロンズ像があったので 中国人の少女かしら? と近づいてみましたが、これは・・・
2007年に設置された「非核神戸方式の碑」なのでした^^;)

でもってブロンズ像のタイトルは「海」でした。制作は彫刻家の廣嶋照道さん。 又 少女の名は美海(ミミ)ちゃんで 世界の海からの平和の声を聞こうとしている~んですって。

入口はこっち。(ビルの東側)

博物館は KCC(神戸中華総商会)ビルの二階にあるとのこと。
↓入口脇にあったプレート。

---神戸を世界に繋ぐ神戸華僑/その150年の足跡---
これが博物館のコンセプトね?

二階へ上がります。


正直 驚くほど「簡素」な博物館でした。展示も物品ではなく写真がメインでしたし。
しかし丁寧に説明して頂け 写真もOKでしたし とても勉強になりました。


日本の開国とともになぜ中国の人が入ってきたのか~もよくわかりましたよ。

日本人が外国との関わり方にまだ不慣れな時代に 華僑はすでに(母国がアヘン戦争に敗れた結果、)西洋式の技術やノウハウ そして英語 というツールを身に着けていたんですね。
日本に渡ってきた華僑には経済的に成功を収めた人も多く、地域にそれなりのポジションも得ていきますが、
日清戦争 日中戦争 の頃は日本人との関係が厳しくなり
大陸での国民党と共産党の戦いとその結果は 華僑コミュニティー内にも難しい問題を突きつけることになり~ と困難な時代が長く続いたと言います
↓でも神戸の華僑は「中立」を貫いて 分断を回避。


興味深く読んだ記事の一つ_。
「舞鶴港で帰国者を見送る神戸華僑 1955年」

舞鶴から大陸に帰った中国人4100人の内700人(1/6弱!)が神戸の華僑だったんですね!/しかし帰国者を待っていたのは非常に厳しい現実だったそうです・・・。(文革で帰国華僑はブルジョワに区分されたんですね)))

華僑の小学校で使われている教科書も展示されていました。なんと(大陸で使われる)「簡体字」で書かれているんです。/ 私が「繁体字は教えないんですか?」と尋ねましたら 説明して下さった方は 「まー。繁体字は書くのがとても大変なんですよ。私自身は繁体字を習っていますが 子供達に最初に教えるのは簡体字が良いです、書きやすいですからね。」との事でした。なるほどー。

↓康有為の書もありました。/獅子文六の『バナナ』に 「康有為の書 ~」って出てきますが 主人公の家に飾られていたのもこんな書だったのかしら?


色々ありがとうございました。/ さようなら。

この後は港をぷらりと歩いて参りました。