坂の両脇には京都女子大系列の学舎が並んでいるので この坂は「女坂」 というニックネームを持っているそうです。 (この坂を毎日上がる皆さん、ご苦労様)



(↑喫茶店や 不動産屋も 主なるお客は「女学生さん」のようでした)

坂の先に灯篭がありました。参道らしくなってきましたね。

更に進むと石段が。


上った先に御廟が・・・ あれ?

なんだか からり としてます_。

右奥(南側)は バス(プリンセスライン)のモータープールの様ですね。

とにかく 奥へ進んでみましょう。

簡素な拝殿がありました。

拝殿の先には_

更なる急な石段が!

石段の手前の立札。

「豊臣秀吉公の御墳墓への御登拝には往復で20~40分を要します。/外灯の類が無いため、日没にかかる御登拝は大変危険となります。/登拝料(100円)をお納めください。」
えー?
今3時過ぎだけど・・・足の遅い私。 水の準備も無いし 無謀な事はやめておこう。
という訳で あっさり諦めて引き返しました。/おしまい。

(ぼけぼけー)
後で調べてわかりましたが、
今拝殿の建つ辺りに かつて豊国廟があったそうです。阿弥陀が峰の中腹のこの広い曲輪は「太閤担(タイコウダイラ)」と呼ばれる場所で、江戸時代に豊国廟が打ち壊された後は 新日吉神社(神宮ではなく)及び 妙法院門跡・智積院 がここに移されています。墓所への参道を塞ぐため、だったそうです。(まー)
あ、お訪ね・・・しなかった今の豊国廟は_
(Wikiによれば) あの石段の563段上にあるそうです。
1897年(明治30年)に三百回忌が営まれ 五輪の石塔が立てられていますが、その為の工事の折 備前焼の瓶に入った秀吉の遺骸も発見されたそうです。
天下人は こんな所で眠っていたのねー、 でした。