城山町(シロヤマチョウ)でお寺の塔を探す~ | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

川を見失った後も この界隈を歩いてみようと思ったのは、第四中学の裏を歩いている時 家並の切れ間からお寺の塔が見えていたからです。
で「こんな住宅密集地に塔を持つお寺があるんだ~」と思い、近寄ってみる事に。

(前出の)たこ焼き「火木堂」の先を北へ行くと、立派な門がありました。
藤井寺(トウセイジ/法華宗 本門流)ですって。

しかし 塔の先っちょは ここから大分西の方です。


塔を目当てに西へ歩いていくと、
すぐ隣に今度は西法寺(サイホウジ/浄土真宗 本願寺派)というお寺が現れました。

↓西法寺の入り口。


では あの塔は西法寺さんの境内に建っているのかな?

坂を上ると_

墓地に出ました・・・

三叉路から東を見たところ。/そこの門は藤井寺の北門・・・

あれれ? 塔はどこへ行った???

あら、失礼、振り向いたら 塔が すっくり建ってました^^;)

来た道を引き返しながら 改めて塔_ 三重塔を拝見。

坂の下から もう一度塔を見上げてみる~。

で_
この塔が 藤井寺、西法寺 どちらに属しているか、は 外から眺めただけではわかりませんでしたがー
帰って地図で調べてみましたところ 「藤井寺」の方、でした。

『とよなか歴史・文化財ガイドブック』p45によると~ 藤井寺さんは元々は曽根崎のお初天神(=露天神)の東の医師:藤井家敷地内にあったそうですが、昭和4年に都市化がすすむ曽根崎を離れ ここに移られたといいます。又 件の塔は2001年に建てられた物との事です。

『とよなか歴史・文化財ガイド』には西法寺についても載っていました。
こちらは天文三年(1534年)にこの地に在住していた方が本願寺に願い出て 自宅に仏堂を建て念仏道場としたのが始まり。寛文12年(1672年)に本願寺から寺号と木仏を与えられ正式にお寺となったそうです。



<+>
時に、この辺りの地名は「城山町」といいます。
古い地図では「福井」となっているのですが なぜ今は城山町なのかなー? ここにお城がある事がわかったのかしら?と思ったら ~
レファレンス協同データベースの
Q:「豊中市中部に城山町という地名があるが、ここにお城があったのかどうかわかる本はあるか。」に興味深い事が書かれていました。↓
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000160445

要約するとー
城山というのは元は 藤井寺裏の高台あたりの「小字(コアザ)」名なんですね。ここに城があったかどうか、は~・・・ 福井城があったという伝承は残るものの 物理的な証拠はみつかっていません。/ 福井城は茨木市福井にあった という説の方が(茨木市では遺構が確認されていますので)有力かなー?
がとまれ この城があったという伝承が好まれたのでしょう 1965年に 福井・長興寺・曽根・岡山・服部の各一部が「城山町1~4丁目」となっています。(←この部分はWikiの「豊中市の地名」を見ました) バス停名も「城山町」です。


この後は_

高台の縁を回って

さわ病院の前を通って 

天竺川の方へ行ったんですがー

(↑市立服部図書館)

途中に 「ロータスアート」というパンの臨時販売所があったので お昼用に~ と カレーパンを一個買いました。

でこれが

美味しかったんです!(揚げてない「焼きカレーパン」)
もっと買えばよかった。今度見つけたら 他のパンも買ってみよっと^^)♪


<ロータスアートについて調べてみたよ>
ロータスアートというのはさわ病院の「北斗会」がやっている「就労継続支援B型」という 障害者の社会復帰のための支援事業なんですって。(パン屋さんの名前かと思った^^;) 日頃はさわ病院の給食用のパンを焼いてるそうです。/という訳で いつもあの角にパンの販売所がある訳ではなさそうなんだけど、見たら「らっきー」と思って買うべし、です。