今井寺内町散策-3(今西家拝見) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
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今井の寺内町、見どころは数々あれど ここは外せないー。
そんなスポットの一つが、「今西家」だそう。
で、行ってみたのですが~

(↓お茶した「ふる伊音」さんの前の道を西へ歩いております)

(↓左の家が 「一歩前(?)」に出ているのがわかりますね? 後で教わった事ですが、こういう敷地が道に出バッタ家は 「格上」のお家なのだそうです。勝手には こんな建て方は許されない、んですね?)

(で、ここが「今西家」なのでしたー。つまり、今井の町の中で上位のお家、なんですね?)

(↑↓北のファサード。両サイドの紋が違う、のがユニーク。(東には 戦国時代に武士であった時の旗指物の印「三階菱」、西に今西を名乗る以前の姓「川井 (河合)」の紋)

(「重要文化財 今西家住宅 / 当家は、代々今井町の惣年寄の筆頭を勤めた家系です。~」って)

あら 要予約 でしたかー。(入口脇の札に そう書かれています)


しかし、中から人の声がする。見学者があるのです。なら もしかして お願いしたらついでで見学させてもらえるかも~

ダメモトで説明員さんに頼むと どうぞ と言って頂けました。(らっきー)

切戸を潜って中に入ると 広い土間でした。

今西家は 江戸時代にはここで「裁き」を行う権限を持っていた家で、この土間はその折には「シラス」として使われたそうです。(牢や いぶし部屋(←自白させるための拷問部屋)ももっていたといいます)

(↑左の梯子の先が男の押し込め部屋。必要があれば下から「いぶし」ます。/右は女の為の部屋で、こちらには「いぶし」の責めは行われなかったそうです)

そうした権力を今西家が持ちえたのには 武家の出である という事実が大きかったんでしょう、と説明員さん。


なるほどー。

座敷部分の造りや調度も「さすが」な物でした。


南側はお庭でしたがー

この先の住居では今も 今西さん が生活しているので「立ち入りはご遠慮下さい」との事でした。

(踏み石に置かれた「バッテン」に紐を結わえられた小石は 「立ち入り禁止」の印、だそう。覚えておきましょう)

退出後、今西家を西から見たところ_ 

↓今西家と 復元された環濠。


屋敷というより ほとんど お城ですね!

織田信長でさえ攻めあぐねたという今井寺内町と そこの主戦力であった今西家については とても私なんぞのブログでは扱えない話ですので、 どうぞ Wikiの今西家住宅、 今西家保存会の頁 をご覧くださいませ。

続いては春日神社の方へ参りました。(つづく)