瑜伽(ユウガ)神社 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

わんず・はーと・かふぇ でお昼を食べた後は_
すぐその裏手の瑜伽神社へ行ってみました。

こちらの御祭神は 宇迦御魂大神(ウカノミタマノオオカミ / =稲荷神)。ウカ、がユウガ と音を変えたんでしょうかね? (勝手に倉敷の瑜伽(ユガ)神社と関係が?と考えてましたが 違いましたー^^;)

石段を上っていて気づいたんですが この神社、崖 に近いほどの急斜面の上に建ってるんですねー。

↓上りきったところ。

↓道をはさんで西隣には 奈良ホテルのある山。/ 中世、ここに山城があったらしい。(瑜伽神社のある方に「瑜伽山城」又は「西方院山城」と呼ばれる物が、奈良ホテルのある方には「鬼薗山城」が)


拝殿。

元興寺の別院:禅定院の鬼門除鎮守の社 として建てられたのが始まり。後に興福寺の門跡寺院、大乗院が麓に建つと、その鎮護社となった、といいます。

室町時代の記録では「今宮」と書かれており 瑜伽 の名がいつついたかは不明のようですね。

神殿部の造りは 柵の奥なのでわかりませんでした。

御祭神が稲荷神ですので、狛犬ではなく狐さんが両の脇を守っていました。

(↑左の狐_多分巻物を加えていた・・・はず / 後ろの末社は久恵比古(クエビコ=かかし)社と猿田彦社)
(↓右の狐は玉を咥えています)

右の狐の後ろには 一言稲荷社と 大伴坂上郎女の歌の碑 「ふるさとの あすかはあれと あをによし ならのあすかを みらくしよしも (天平5年・733年)」 (故郷の飛鳥もいいけど 奈良の飛鳥を見るのもいいですね) / この山は「平城の飛鳥」と呼ばれていたそうですし ここに立てば遥か南に飛鳥が~ 、、、歌の文言にぴったり、という事なのでしょう。(もっとも本来この歌は 奈良の飛鳥と呼ばれた元興寺の立派な様を歌ったものだそうですがー)))

一言稲荷社の左手には 小さな窪みがありました。脇の「飛鳥乃御井」と刻まれた石が これが井である事を教えています。(この山が「平城の飛鳥」と呼ばれていた事を知らないと 名前の由来がわからないでしょうね。隣の歌碑は それを知らせるためにも置かれていた?)

清水が溜まっていました。清浄な地に湧く「神水」です。


石段途中にも 小社と句碑がありました。

こちらの石に刻まれている歌は 「春は又 花にとひこん 瑜伽の山 けふのもみちの かへさ惜しみて」。詠んだのは 江戸末期に六年間 奈良奉行を勤めた藤原良材。/ 瑜伽山は 春の桜、秋の紅葉、その両方で有名だったんですねー。

さて、瑜伽神社を退出した後は 隣の天神社へ行ってみました。

新薬師寺への道は 遠い ・・・ ?