佃の田蓑(タミノ)神社 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
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今日は西淀川区は佃の田蓑神社へ行ってみました。(東京の佃の住吉神社は 大阪の佃の田蓑神社を勧請したもの~ と(ブロ友さんの記事で)知りましてねー)

まずは車を駐車場へー。二号線から北へ入ってすぐのコインパーキングへ入れて歩いたのですがー

他にも もっと神社の近くに 三か所程 コインパーキングがあったのでしたーーー(どなたかの参考になればと思い 打っております)

住宅地には こちらのように 敷地に小さな祠をお持ちの御宅があちこちにありましたよ。風情のあることですね?

道なりに行くとー

左手に公園が見えてきました。

公園敷地内にー

目指す田蓑神社の鳥居がありましたよ。


鳥居を潜ってすぐの狛犬達は

個性的な面立ちをしてました。


その先の祠には「安産感謝」と書かれたよだれかけをつけた 小さな石のお地蔵さん(多分)がいました。

右手に社殿が現れましたが おっと まだ手を清めておりませんー


という訳で 少し離れた所にあった手水舎へ。(つまり 私は「裏」からお参りしてしまったのねー)

んー?カラスがいるよ?

わっ パンを水に浸して食べてる!(なるほど、かちかちのパンもこうすれば食べられるね。緊急時のライフ・ハックとして覚えておこう)

私が近づくと カラスはパンを咥えて飛んでいきましたー。
が カラスに使われた後の水盤にはパン屑が浮いてて とても水はすくえぬ状態。(でしたので ひしゃくで 龍の口からちょろちょろしたたる水を受けました。もっともいつもそうしてますが)


改めて社殿前へ。
扁額の字は「住吉大明神」。
 神社のHPによりますと_ 創建は869年で その当時は「田蓑嶋神社」と言ったそうです。(お祀りしている神様は その時から住吉三神と神功皇后だったようですね)
時代が下ると社名は 住吉神社に、更に(明治以降)田蓑神社に、変わったといいます。

さて、「佃」というと 江戸の佃島や佃煮が思い出されますが、 江戸の佃に入植した人達は 元々は大阪の佃出身だったんですね?
と そこまではなんとなく知ってましたが、
佃の人達は 故郷から神様もお連れしてたんですねー? 

大阪の田蓑(家康に「田も作れ」と命じられて以降 佃 と改名)から 神社の宮司の弟を含む34人が江戸に移ったのが1590年。
1645年幕府から賜った干潟を佃島と命名し 翌年住吉さんの分霊社を建てた~ ようです。(へー)

↓拝殿前の狛犬達。


↑若々しいわね?
↓拝殿の奥には神殿が四つ、横並びに建っていました。(住吉三神と神功皇后が祀られている、のですね?)

↑写ってませんけど、この垣内には元禄年間に造られたという 大阪で一番古い狛犬がいるのですって。(神社のHPに画像があるので⇒ よろしければご訪問下さい (クリックで大きな画像を見る事ができます)

本殿脇の鳥居の奥には摂社。

手前から「東照宮」「七重之社」「稲生社」です。

東照宮は言うまでも無い事ですが家康を祀っています。(1631年からここで祀られているそうです。/ 因みにですが 1646年に建てられた江戸の佃島の住吉神社には 住吉三神と神功皇后に加え 権現様(=家康)も祀っているそうですね。)

時に この東照宮前の狛犬はユニークですね?(神社のHPに載る 本殿の垣内の元禄時代に造られたという狛犬に似てます。元禄時代に流行ったスタイルなのかしら?)


↓「七重之社」には、 天照皇大神 猿田彦命 事代主大神 大国主大神 応神天皇 少彦名大神 菅原道真公 の七柱の神様が、 その奥の「稲荷社」には 宇賀御魂神(ウカノミタマノカミ)が祀られています。


退出いたしましょう。

南の鳥居を抜けて 振り返ったところ。

佃に「1」詳しくなれた気がします。


<余談>
大阪の佃にも 佃煮屋さんがあるといいのになあ~。