
↑西大路に面して立つ鳥居を潜り、
↓参道を行くと・・・ 参道はすぐ直角に曲がって_

↓_北にのび、正面に社が見えました。

手を清めて・・・

正面の社に近づくとー。
↓これは摂社の「六勝神社」という お稲荷さん でした。


↓で お稲荷さんの西隣にある社が わら天神 の通称をもつ「敷地神社」でした。

ご祭神は木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)。

こちら_ 元々は北山という 山 を崇める神社だったようですが、長い年月の間に 社地が移ったり 祭神が合祀されたり こちらで授与される藁が安産のお守り になったり 更にはその藁の節で 生まれてくる子が 男か女か 占われるようになったり~ したようです。 (又 Wikiによると、 社名の「敷地神社」は 後から勧進された 加賀(石川県)の菅生石部神社(スゴウイソベジンジャ)の通称から、 わら天神の「天神」は その菅生石部神社が北野天満宮(京都)の社領であったことからきている~ そうです。(菅生石部神社は地元では「敷地天神」「菅生天神」と呼ばれているとか・・・) // とまれそういう訳で、主祭神が国津神の社なのに「天神」という名称がついているのですね? ・・・ ややこしくも おもしろい。)
本殿の西には 末社が並んでいました。
↓こちらは綾杉明神。

かつてここにあった神木「綾杉」の霊を祀る社だそうです。/ 清原元輔(キヨハラノモトスケ / 清少納言の父)が「生ひ繁れ 平野の原の綾杉よ 濃き紫に立ちかさぬべく」と歌に詠んでいる事から 平安中期 すでに綾杉は大木だったようです。 (もしかして わら天神が安産祈願の神社になっていったのには 元輔のこの 子供の健やかな成長を願う「綾杉」の歌 も一役かっていたりは・・・?)

↓綾杉明神の北の 大山祇(オオヤマツミ)神社。

大山祇は 木花開耶姫の父神ですね?

↑へ~こちらの大山祇神社は武人が武運長久を祈った神社、ですかー。
本殿前には舞殿がありました。

狂言の奉納なんかも行われるようですよ?(見てみたいですねー)
さて、 戻って参りましょう。。。